先日、新聞に投書しました。
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私は毎朝30分ほど新聞を読むのを日課にしており、時々思ったことをこちらにも載せていただいております。また、30分から1時間ほど本を読んでいます。こう書くと活字派のように思われるでしょうが、メインはネットでブログとユーチューブで発信しています。今、活字離れが進んでいると言われます。しかし、SNSは盛んですし、ネットはリアルタイムで更新される超巨大な図書館のようなものですから、何かを読んだり文章を書くことは、昔より格段に多くなっていると思われます。ただ、一方でネットでは興味のある情報にしか触れないので、世間で起こっている大事件であっても知らないし、SNSでは、自分の思ったことを短い文章で話すだけなので、人に何かを伝える能力は養われません。今の時代、新聞にどんな意味があるか考えると、情報の量や時間ではネットには敵わないが、世間で起きている事柄を大雑把につかむ点で有利、もう一つ、投稿者の立場でいえば、一日に多くの人に情報を送れるというメリットがあると思います。徳島新聞は発行部数22万部ですが、これを上回るネット発信者は多くありません。ですから、新聞紙面の投稿欄の拡大と文字数も増やせば、県民の意見を表明する場としての意味が大きいと思います。
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いつも思うことがあります。
文章下手だな( 一一)
他の投稿者と比べると、かなり落ちる。
投稿者の中には格調高い文章を書いている人もいますが
そういうものと比べると、あまりにも下手すぎる( 一一)
ところが、手前味噌ですが内容はかなり鋭い
ネットのメリットについて的確な指摘を
していますし、SNSと比べた新聞投稿の優位性に
触れて提案も行っているので、この内容を
書ける人は多くないと思います。
つまり、文章の割に内容のレベルが高いと思う。
これが私の特性なんでしょう。
ただ、文章の世界では多分評価されない( 一一)
先日、ある仏教系ユーチューバーの方にコメントを入れました。
そうしたら
「有名な和尚さんにコメントいただいて恐縮です」
とお返事いただいた。
ユーチューブを始めた時期は同じ位。
動画数も同じ位。
話もその方の方がうまく、編集技術も高い。
さらに、驚くべきことに10冊ぐらいの著書を
出されている方でした(◎_◎;)
しかし、意外なことに、再生回数は私の方が10倍
登録者数も6倍近い。
その理由は何だろう?
そもそも、話が下手。
動画の技術も無く、クオリティも低い
だいたいマスクをしていて怪しいし
という私の動画の登録者が4000人もいるのは
驚きです。
なぜ、伸びているのか?
私にもわからない。
もっと不思議なことがある。
寺法要がある時に、私の動画を檀家さんに見せるのですが
興味を持つ人はほとんどいない( 一一)
それどころか、身近には私の動画に興味のある人は
ほとんどいない( 一一)
登録者が4000人もいる動画配信者ですから
面白いと思う人が少しは居ても良いはずなのですが・・・
と思っていたのですが、あることに気づきました。
前述の仏教系ユーチューバーの方の話は、
不特定多数の方に聞かせた場合でも、半分くらい
お寺の法話なら7割ぐらいの人は興味を持つだろう
一方で私の話はほとんど聞く人がいない
多分、100人に1人より少ないかも( 一一)
常識では私の話など意味が無いように思われる。
しかし、多分、逆なのだ。
不特定多数の人が興味を持つ話は、ライバルも多いし
競争も激しいので、高いクオリティが必要とされる。
また、その人にこだわる必要もない。
逆に私の話は、ライバル不在で、競争は無い。
低いクオリティでも、ここでしか見れないので
マスクをしているような怪しい人でも見る人が
いるわけです。
専門店とスーパーの違いのようなものかも。
誰でも必要なものを売るなら、安くてサービスが必要ですが
自分しか作れないものなら、高くても欲しい人は買いに来る。
大成功はしませんが、そこそこ生き延びるかも(*^_^*)
改めて自分が解ったような気がします。
マイペースな「たろう」