父ちゃん定年説? あと5年
この3連休、金曜は末娘のピアノの発表会。土曜日は和太鼓のコンサート。これは、あすか組というプロもゲスト出演して、かなり聞き応えのあるものでした。そして今日は子供たちの小中の公開授業。我が子を含め、いろんな人が頑張っている姿を見て、いろんなことを考えました。ちょっと思ったのが、「あと5年」、僕は丁度50歳になります。若い頃は勝手に自分の寿命と決めていた年齢です。そして、末の娘も高校生になり家をでて、家の中は普段女房と二人の生活になっている頃です。こりゃ、大きな節目というか、転換期になりますよね。30歳くらいから小さな子供たちとか弱い?女房を背負い込んだ「父ちゃん」という立場で生きてきたつもりですが、その「父ちゃん」という立場の寿命があと5年という気もします。父ちゃん定年説?(笑) 定年前のサラリーマンの人はこんな心境なのでしょうか?「父ちゃん」でいられる間にやり残しのないようにしたいと思いました。こう書くと深い事を考えたようですが、そうではありません。娘の発表会を見て、「ワシもピアノが弾けるようになるじゃろうか?」(笑)太鼓のコンサートを見て「ワシもやりたいけど、もう遅いか。。」(泣)認定試験のために「冬げしき」の簡易伴奏だけは弾けるようになりましたが、ほんというと、ジャズピアノなんて弾けると無茶苦茶カッコいいですよね。そんなあこがれは それこそ中学生の頃からもってて、でも、なんとなく諦めていて。諦めてはいるんだけど、じゃあ、本当に死ぬまでそれでも本当にいいのかというと、心のどこかには、いや、死ぬまでにはなんとかなるんじゃないのかという根拠のない希望もあって。。それはギターもそうで、これまで何度もやりかけては挫折して。。まあ、ギターでもピアノでも、楽器をなにかきちんと弾ける様になりたいと言う思いはずっと燻っていたのは確か。和太鼓も然り。地元の和太鼓グループの15周年記念のコンサートだったのですが、中心メンバーはほぼ同年。でも、この人たちは10年なり15年なりやった末の45歳。僕が今さら始めたところで。。。しかし、最年長は50歳。5年必死で頑張れば。。。ナドナド。。。そんなこんなで、あと5年あればどんなことが出来るだろうと。。。なんとなく胸の中に燻っていた夢というか、まあ、死ぬまでにはこれくらいのことは出来るだろうと思っていたことの中のいくつかが、そろそろ最終期限ですよと通知を送ってきたような。少し早めにスタートを切った水泳やマラソンは悔いを残さずに済みそう。マラソンは数年のうちに、父母の元気なうちに、屋久島かどこかの南の島に行きたいと思います。たしか、100kmくらいのウルトラマラソンがあったような気がします。これはどちらかというと100km走れる走力より、家族を連れて行く経済力が問題になりそうですが、充分実現可能。数年なんて言わすに来年行けばすむ話か。(笑)水泳は、一応当初の目標は達成できてるので、これはもうOK。楽器については、来年、娘の発表会のファミリーの部に出たいと思います。娘がピアノ。僕がピアノの連弾か、ギター。これもなんとかなるじゃろう。実現の可能性が低いのは和太鼓か。これは入れてもらえるかどうかもわからない(メンバー募集と書いてあったので心動かされたのですが、45歳じゃ対象外?)し、自分にどれほどの覚悟があるのかもわからない。それにしても、小さな夢?ばかりではあります。大事な事を見落としているような気もしないではないですが、もうしばらくじっくり考えてみましょう。期限切れ間近のものがあると言う事に気が付いただけでもこの連休の意味はあったかなあと。♪遅すぎる事はない、早すぎる冬よりも~(中略)目の前のコップの水を一息に飲み干せば~傷も癒えるし、それからでも遅くない~中学生の頃よく聞いていた拓郎の曲。大人の曲を背伸びして聞いてるつもりでしたが、いつの間にか当時の拓郎より遥かに年上に。そろそろ人生を語んなきゃいけない歳なんじゃないだろうかと思いつつ。。