自分二号
第二の人生っていうと普通定年後、60歳くらいからということになるのだろう。僕は30歳くらいで脱サラして今の暮らしをはじめた。田舎でのびのびと子供を育てたいというのが一番の動機だったから、農業を始めたというより、「父ちゃん」を始めたといったほうがいいと思う。長男は今年、成人になる。長女は高校を卒業する。次男は高校に入学。末娘は来年高校。それで、我が家は夫婦二人の生活に戻ることになる。僕が思い描いていた田舎での家族の暮らしは来年でいったん幕を閉じるわけだ。そういう意味では「父ちゃん」の定年を来年に控えているということになる。50歳でいったん、定年だ。勿論、学費だとかそういう役割はこれからがむしろ本番だけど、暮らしの場を作るという意味での役割はいったん終了。帰ってこれる場所を残しておいてやることと、高校卒業後の当面の資金を確保してやること。大学にいくなら、入学金と1年目の学費ぐらいを確保してやることが最低限の仕事かなと思う。途中かなり苦しい時期もあったけど、よく無事にここまでやってこさせてもらったと思う。とにもかくにも、僕が「まっとうだ」と思うお米や味噌、家、環境で子供たちを育てることができたわけだ。本当に幸運だったと思う。途中経済的にはかなり追い込まれたこともある。慣れない農作業や重機、大工道具なんかで、自分や家族が大怪我をしたかもしれない。女房や子供に愛想をつかされたかもしれない。何があってもおかしくない状況で、4人もの子宝に恵まれ、何とかここまでやってこれた。で、昨年。老眼だの、白内障だの、おまけに年末には,やはり緑内障の気配もあるといわれた。走ったり、泳いだりする分には、むしろだらしなかった若いころよりは向上しているくらいだけど、確実に老化は始まっているということだろう。白髪になるのも早かったから、普通より老化も早いのかもしれない。そう考えると、10年早い第二の人生もちょうどいいのかもしれない。どうせ違う人生になるのなら、全然違う「自分二号」になるほうが、楽しそうだ。なんせ、「自分一号」で、十分幸せに暮らすことができた。あとはまさに「余生」と考えてもいい。どう自分を改造すれば、パワーアップした二号になれるのか。しょうもないプライドやこだわりを捨てることが大きな鍵になりそうだ。ぼちぼち、準備に入りたいと思う。