カテゴリ:生活
プログ
折角の日曜日だと言うのに、今日は午前中から冷たい雨が降り続いている。 兎角、日本海側は冬が近くなると、雲が低く垂れ込めて、気分を一層水墨画のような単調な色合いに染めていくような気がする。 一雨ごとに気温を数度ずつ下げていき、もう半月ほどもすると、作動させていたワイパーの間隙をぬってフロントガラスにへばりつく水滴には、明らかに水の結晶を見て取れるようになるであろう。 わしのプログを飾っていた野草たちももうお仕舞いである。 来春の3月を待たねばならない。 セイタカアワダチソウ・イヌタデ・アメリカセンダングサの類がまだ頑張ってはいるが、それとてそろそろ花期の終わりに近づいている。 さてさて・・・確かに以前よりは極端に更新しなくなったわしのプログではあるが、今後はどのように作成して行ったら良いであろうか? 季節にこだわって、花以外の挿絵を貼って行こうか? 以前に撮り貯めていた野草を貼って行こうか? 文章のみのプログにすべきであろうか? ん~~~~ どれがいい? 妙案はないかな??? 一ヶ月ほど前に撮影したナギナタコウジュ 中途入社導入研修 痛む腰に時折手を押し当てながら月曜日の仕事を定時+30分サービス残業をしてから山形発の新幹線モドキに乗車した。 モドキと言いたくなるのも当たり前で、山形~福島と福島~大宮の時間差はほとんどない。 単線区間までは普通の列車とあまり変わりのない速度で進行する。 大宮で乗り換えるが、都会には不慣れな中年であるから、どのホームから埼京線に乗れるのかがわからない。 駅の中を3~4往復、行ったり来たりしただろうか・・・・ようやくのことで、『埼京線』へのホームを見つけて階段を登っていく。 間もなく、東京方面へ向う列車がホームに入ってきたので、すかさずわしはそれに乗り込む。 ありがたいことに車内の出入り口近く上に、路線図が書かれていた。 わしは目的地である『北与野』がその列車の路線の中に含まれており、大宮駅の次の駅が『北与野』の駅であることを認識して安堵する。 茶色のビジネスバックの中には研修で使う数百ページにもわたるテキストが入っており、それだけで十分に重い。 右手には女房から借りたトラベリングバック? 5日分のYシャツと下着が入っている。 女房の関与は、バックを貸してくれたのみであり、それ以上のことはしてくれない。 それを嘆くつもりはないが、亭主の出張の準備は、世の夫婦の大半は女房の役目ではないのかな・・・などと思ってしまうが、それは今日のプログの本題ではないので、置いといて・・・・Yシャツも下着類も自分でバックに詰め込んだ。 それらを持って大宮駅をあっちこっちに、トータルして2kmほど歩いた気分であった。 乗り継ぎに成功したと思った時にはハゲ上がった額にはふつふつと汗が浮き上がっていた。 であるから、ビジネスバックを両足の間に置いて、左手でつり革を掴んだときには本当に安堵したのである。 発車間際、車内アナンスがあった。 「この列車は通勤快速です。 次の停車駅は◎×★~ ◎×★~」 げげげげげげげげげげっ! 慌てて、わしは出入り口上に貼られている路線図を見た。 北与野駅の2~3つ先の駅である。 慌てふためいて、その列車から飛び降りて、再びホームに立つこととなった。 田舎者と思われたか? 多少わしの動静を見ていた人はいないか周囲を見渡すのも忘れなかった。 15分ほどして各駅停車の列車がホームに滑り込んでくる。 車内に入るが座る余地がない。 若い男女が堂々とシートに座り、お年寄りが立っていたが、わしはこの都会では部外者であるし、たった1駅なので出入り口近くで流れる外の明かりを眺めていた。 冬を待つハマナス(果実) この調子で5日間を書いていくと何万文字にもなりそうなので・・・・・中略・・・・ 4泊5日の4泊目。 研修会に参加した女性10数名・男性6名の中の有志達11人?で、大宮駅近くの居酒屋で懇親会を開いた翌日の夜。 つまりは研修会、最後の夜であった。 ホテルの一階の中華料理屋に懇親会に参加できなかった地元S県のA氏(北与野で地元ならS県って言わなくてもいい?)を誘って、わしとこの研修会で懇意にしてもらった東海地方H市の御仁の3人で飲むはめになった。 研修は午後5時で終了し、そこからまっすぐ貸切のマイクロバスでホテルに向う。 ゆっくりと行動しても、飲み始めるのは午後5時半からであった。 ((( つづく ))) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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