Jo-6
2005年9月30日・・・この日を決して忘れてはならない。寝台特急「彗星」の最後の運用日だ。知名度が高かったこの列車。しかし航空機や新幹線という時代の波には勝てず、結局引退してしまった悲しい列車だった。この列車の消滅で南九州から寝台特急は全滅。唯一単独で走っていた「なは」も「あかつき」との併結という道を選び、 九州管内の寝台は「併結」して都市へと向かうこととなった。あまり知られていないが、この改正で宮崎にもう一つ実は変化があったのだ。大分所属の475・457系の運用撤退だ。実は、この改正から大分に顔を出すようになった475・457系はすべてカコ車。一時期大分にいた475・457系はいずれも保留車扱いとなっていた。結局の所は小倉工場に送られてしまった。その改正日前日にとった市棚→南宮崎の大分車Jo-6編成。デカ目はとうとうカコ車のJk-9のみとなってしまっていたが、こちらは大分車で現役だった最後の姿だ。やっぱデカ目はえぇわwどうせなら国鉄カラーもGk-5じゃなくてJk-9にして欲しかったという声はよく聞くもの。そして、今年の改正でさらに運用変更。475・457系がこの改正で落ちたという。確認出来たのは写真と同じ市棚→南宮崎の733Mが717系に変わっていた。同時にワンマン化。今年の改正でラッシュ時以外の殆どがワンマン化している宮崎地区。この地区の行方は一体・・・?