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カテゴリ:松本潤
テレビ画面で見る限り、そして雑誌などのインタビューを通してみる限り、
松本潤は愛されて育った人だと思う。 常に礼儀正しい。箸の持ち方、食べ方もきれいである。人前で身内を呼ぶ時にきちんと「父」「母」呼称を用いることができる。場を共有する人に気配りを欠かさない。 自分に自信も持っていると思えるし、しかし謙虚にシビアに自己を測っている。現状に満足することなく向上心を持って努力し続けることができるのは、たぶん自己が確立しているからだ。 遠いところから眺めていると、この人は状況に流されないように見える。自分なりの考えをもつ。そしてそれは、じっくり熟考してたどり着いた自分なりの信念なのだ。たぶん。 でも、一方で他者を排斥しない。自分と相容れない対極の意見であっても、とりあえず自分の中に入れて咀嚼して、必要なものは取り入れる。自分を否定する意見や存在ですら、尊重しようとする姿勢はよく見られる。 やっぱり、愛されて育った人なんだろうなと思う。 基盤がしっかりしているのだ。 だから、同業者からも評判がいいとよく評されるのだろう。 さて、ここまでは前置き。 なぜそんな松本潤に関する自己分析を語ったかというと、 そんな松本潤が「早川ビト」を演ずるすごさを感じるからだ。 早川ビトは、親に見捨てられたといってもいい子供だ。 作中で語られる彼の生い立ちは、ネグレクトを受けたに近い。 最終的に、ふた親から捨てられたのだ。 彼は、「愛されることのなかったこども」である。 親から愛情を注がれなかった子ども、疎まれて育った子供は、自分に自信を持つことができない。自分の存在に価値を見出すことができない。往々にして。 周囲の顔色を伺い、あるものは他者にこびへつらって迎合して、ある者は他者を自分の世界からシャットアウトして自分を守り、なんとか生き延びようとする。 外界からの刺激に鈍感になる。 それは敏感だからこそだ。感受性が全開だと、自分の精神がずたずたになる。だから、あえて気がつかないふりをするのだ。 自分の価値を見つけ出せない自尊感情の低い人間は、卑屈になりがちだ。 だから見てて鬱陶しい。だからよけい疎まれたりする。負の連鎖。 優しければ優しいほど、心は傷つく。臆病になる。 ビトはそんな青年に思える。 ビトというキャラクターに、自分は恐ろしいほど感情移入することができる。 自分と重なるからである。幸いにも自分は親から愛されなかった意識はない。でも、物心ついてからずっと、自分にかかわる大人から憎まれ疎まれ排斥された経験があるのだ。それはかなり辛い経験で、以降ずいぶん長いこと、私は大人に不信感しかもたなかったし、外界を遠い存在として切り離して生きていた。 学校の友達からは「いつも笑ってるね」「優しいね」とよく言われていた。人と距離を置いているから、悪感情など生まれてきようがない。どんなことでも受け流せる。それは外から見たら受容と変わらない。そうやって自分の心を守って生きてきたのである。 自分の存在価値など無いと思っていた。 誰からも自分なんか必要とされない。愛されるわけがない。 今でも好意を示されるとどう返したらいいか分からなくて戸惑う。 むしろ捨て置かれる方が気が楽だ。でも、本当は、好意を示してもらえるのがとてもうれしい。 ずたずたに傷ついた心を抱えていると、人の優しさが本当に沁みる。 健康な心の人にとっては1にすぎない優しさが、100にも1000にも感じられるくらいだ。 そうやって 自分は周囲の大人に心を少しずつ修復してもらって、そして自分を見つけ出すことができるようになった。 人の優しさは、人の心を癒す力を持つのだ。 話がずれてしまったけれど。 だから私はビトにとても共鳴する部分を持っていて。なんとなくわかる、って感じがするのだ。 でも、松本潤はその対極にいるような気がする。 愛された強い心を持った人間に、ビトのような傷つき打ちのめされた心を理解するのは難しいと思う。 それは、このドラマを見た人々の感想を目にしてもよく思うことである。 ビトが鬱陶しい。弱弱しくてイライラする。もっと自分を強く持てばいいのに。 その通りだ。でも、そこには相手を理解しよう、わかろうとする心の動きはない。分からないのだろうと思う。自分の置かれている状況や、自分自身の成長過程とあまりにも違うから。 自分が心の強い健康な人間だと思っている人の中には、あっさりとこういうタイプの人間を切り捨てて「弱い。ダメな人間」と断罪する人が多いんだなと、少々驚いた。 松本潤は、たぶん心の強い人だ。健全な心を持っている人だ。 なのに、彼はこのビトを、完全な形で私の目の前に提示してくれている。 ビト、という「弱弱しくも鬱陶しい」、「傷つき打ちひしがれた」、「こよなく優しい心の青年」を、見事にそこに存在させている。 共感能力の高さ。洞察力の鋭さ。そして、人を理解しようとする、そのキャラクターに歩み寄ろうとする心。 それが、ビトを通して見えるような気がするのだ。 だからビトを見ているとそれだけで涙が出てきそうになる。 全く違う人格に寄り添い、とことんまで近づいていく松潤。 ビトを理解するには優しさが必要だと思う。その優しさが透けて見えるのかもしれない。ビトには。 言葉足らずでなかなか思っていることを表現できないけれど。 結論は好きだぜ松潤。すごいぜ松潤。以上。 なんとなくそんなことを考えた夜でした。ちゃんちゃん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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