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カテゴリ:スマイル
谷川俊太郎の詩を読んで。
ビトにおける花。花におけるビトを思わず想起。 いっちゃってると自分でも思う。 ------------------------------------------------- 「魂のいちばんおいしいところ」 神様が大地と水と太陽をくれた 大地と水と太陽がりんごの木をくれた りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた そのりんごをあなたが私にくれた やわらかいふたつのてのひらに包んで まるで世界の初まりのような 朝の光といっしょに 何ひとつ言葉はなくとも あなたは私に今日をくれた 失われることのない時をくれた りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた もしかすると悲しみも 私たちの上にひろがる青空にひそむ あのあてどもないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた ------------------------------------------------ 「あい」 あい 口で言うのはかんたんだ 愛 文字で書くのもむずかしくない あい 気持ちはだれでも知っている 愛 悲しいくらい好きになること あい いつでもそばにいたいこと 愛 いつまでも生きてほしいと願うこと あい それは愛ということばじゃない 愛 それは気持ちだけでもない あい はるかな過去を忘れないこと 愛 見えない未来を信じること あい くりかえしくりかえし考えること 愛 いのちをかけて生きること --------------------------------------------- 読んでビービー泣きました。 茨木のり子さんの詩 あまりにも有名なものの一節に思ったこと。 ------------------------------------------------ 「マザー・テレサの瞳」 (前略) (五連めから) 外科手術の必要な者に ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人は 知らないのだ 瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの 慰藉の意味を 死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って 手を握りつづけることの意味を ――言葉が多すぎます といって一九九七年 その人は去った ----------------------------------------------------- <外科手術の必要な者に/ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人> 今もいます。批判というよりむしろ非難。 外科手術が必要なんだから外科医に連れて行くのが筋。なぜ包帯だけ巻いて放っておくのか。 常識では考えられない。人間として間違った行為。偽善。自分が善意の人だというプロパガンダ。その実見捨てているのと同じ。ひどい。等々、 こんなバッシングが思い浮かびます。 <瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの/慰藉の意味を/死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って/手を握りつづけることの意味を> 見えないのか、見ようとしていないのか。見えていても見えないふりをしているのか。 世の中は変わっているようで変わってないのかもしれません。 最後にもうひとつ。また谷川さんの詩です。 ----------------------------------------------------- 「じゃあね」 思い出しておくれ あの日のこと 楽しかったあの日のこと けれどもそれももう過ぎ去って じゃあね ひとりぼっちはこわいけど きみにはきみの明日がある どこか見知らぬ宇宙のかなたで また会うこともあるかもしれない じゃあね もうふり返らなくていいんだよ さようならよりもさりげなく じゃあね じゃあね・・・・・・ 忘れちゃっておくれ あの日のこと くやしかったあの日のこと けれどもそれももう過ぎ去って じゃあね 年をとるのはこわいけど ぼくにはぼくの日々がある いつか夜明けの夢のはざまで また会うことがあるかもしれない じゃあね もうふり返らなくていいんだよ さよならよりもきっぱりと じゃあね じゃあね・・・・・・ ------------------------------------------------- 自分はどMかもしれない、と思い始めた梅雨の夜。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/06/24 11:23:09 PM
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