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カテゴリ:日記
随時、嵐のファンの仲間いわゆる嵐友が欲しいなあと思ったりするわけですが、
当方異常な松潤押しなので、通常の嵐友とはおそらく話が合わないであろう。 そこで松潤溺愛の方とお話できたら幸せだろうなあと思いつつ、しかしそこでも話題が合わないことは多々あろうと予測。 まず第一に、「ダメダメな潤君が愛しいの」的ノリについていけない。 無論人間ですのでダメな部分もあり、失敗した時の言い訳する仕草や口調がめためた好きではあるのですが、あくまで彼は素晴らしいと思っているので、庇護欲かきたてられた母親目線での「好き」にはついていけないものを感じることがあるのです。 母親目線と言えば、松潤を身内視してるようなノリにもついていけず。 うちの潤くんがご迷惑おかけしてごめんね、嵐のみんな。というものです。 ダメダメな潤君をみんながフォローしてくれるから潤君なんとかやっていけてます。ありがとう。 とか言うのを見るたびに、松潤はあなたの息子?旦那?って思う。 普通ね、いくら親しいとしても、他人の息子さんのことをとりあげて、周りの友人たちに、「いつもこの子がお世話になってます、ありがとうねえ、ダメダメな子で迷惑かけてごめんね」なんて言ったら失礼極まりないですよ。 でも、画面の向こうのアイドルで、しかも長年好きでい続けるとどうしても自分の身内みたいに誤解しちゃうんだろうなと思います。 アイドルなんて客にどれだけそういう錯覚を持たせるかが勝負ってところはあるでしょうし、それが正しいアイドルファンの在り方なのかもしれません。 でも自分は苦手。 それだけは避けたいなと思うし、多分その感覚にはついていけない。 嵐の人気や嵐の素晴らしさを自慢したい、というのも同じでして。 嵐に人気があるのは私たちファンの手柄でもなんでもないんで、なぜそれが「自慢できる」と結びつくのかが私には理解不能なのです。嵐の素晴らしさもそう。それは嵐の素晴らしさであって私たちの素晴らしさではないのになあと思う。 嵐っていいよね、松潤ってこういうところが素晴らしいよね!素敵だよね!ってことを意見交換したい気持ちはあるけれど、多分ファンの中に行ったら自分は浮くんだろうなあと思います。ってことで未だに一人でぶつぶつ呟いておるのです。 東京都民の松本潤さんが画面の向こうに作り上げている「松本潤(愛称マツジュン)」というキャラクターをワタクシはこよなく愛でております。 あらゆる部分がツボで、その中には当然失敗する松潤も駄々っ子松潤も末っ子松潤も含まれます。そしてそこも魅力的。 だがしかし、松潤に惹かれる根幹は彼が「尊敬」に値する人間であると思う部分なのです。 これもまた、松本潤が作り上げた「マツジュン」に自分勝手な妄想をコーティングしてるにすぎないのかもしれませんが。でも、その素晴らしさを堪能するスタンスを守って行けたらなと思います。2011年最初のマツジュンライフ。どんなんなるんですやろな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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