秋田県護国神社
秋田市の高清水の丘にあるいくつかの神社のうち、規模が最も大きいのが、秋田県護国神社です。秋田城跡の史跡指定区域の中にあって、史跡公園として整備されている「政庁跡」の隣に位置しています。秋田県護国神社 01 posted by (C)Traveler Kazu 新国道(県道56号)から「高清水公園坂」を登ってくると、史跡駐車場に到着する手前右側に、大きな鳥居がありまして、こちらが参道です。秋田県護国神社 02 posted by (C)Traveler Kazu 長く広い参道は、地方では珍しいもの。奉納された灯篭が並んでいて、風格を感じさせます。秋田県護国神社 03 posted by (C)Traveler Kazu 珍しく、門(神門)があります。平成7年にできた神明造の門で、伊勢神宮第61回御遷宮(前回の式年遷宮ですね)のあと、豊受大神宮(外宮)の門の部材の一部を使用して終戦50年記念として建てられたということです(現地看板より)。秋田県護国神社 04 posted by (C)Traveler Kazu 神門の左手前に手水舎があります。作法を紹介しているイラストが、非常に昭和テイスト。秋田県護国神社 05 posted by (C)Traveler Kazu 集会所とみられる建物も、だいぶ年季が入っております。秋田県護国神社 06 posted by (C)Traveler Kazu 「天皇陛下 皇后陛下 御親拝記念碑」秋田県神社庁のHPでは、昭和44年に昭和天皇、皇太后陛下、昭和45年に今上天皇・皇后両陛下が御親拝されたのをはじめ、宮様方が御参拝されたようです。この碑は、それを記念して、後年に建てられたものです。秋田県護国神社 07 posted by (C)Traveler Kazu 神門を入ると、御立派な拝殿が目に飛び込んできます。秋田県護国神社は、戊辰戦争の官軍戦没者を高清水の丘に祀ったのが始まりとされ、その後焼失により、県出身の軍人を合祀して秋田招魂社として久保田城址(=藩主佐竹家の居城/いまの千秋公園)移ったのち、昭和15年(=「紀元二千六百年」!)にこの地に遷座したものです。しかし、平成2年のとある夜、2つの時限爆弾が炸裂し、社殿が全焼。現在の社殿は、平成4年に再建されたものです。現在、主祭神は護国の神霊(37,841柱)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)です。戦前は内務大臣指定護国神社、現在は秋田県に4社しかない神社本庁の別表神社ということです。ちなみに、護国神社から南東に650mほどのところにある古四王神社も別表神社です。秋田県護国神社 08 posted by (C)Traveler Kazu ご挨拶を済ませ振り向くと、ちょうど神門に日光が当たっていました。秋田県護国神社 09 posted by (C)Traveler Kazu 私Kazuは、初詣をして、盆彼岸は寺へ参り、結婚式に呼ばれればチャペルへはせ参じる、典型的な日本人でありますが、日本の神様が一番神々しく感じるのであります。秋田県護国神社 10 posted by (C)Traveler Kazu 画像には映っていませんが、境内には「さざれ石」もあります。秋田県護国神社 11 posted by (C)Traveler Kazu 現在使用されているのか不明ですが、味わい深い建築の斎館と思われる建物があります。現在、社殿に隣接する位置に斎館のような建物やお札の授与所があるので、使われていないのかもしれませんが、民家と棟続きになっているので、あまり奇妙な動きはされませんように。特大の石灯籠があって、目を引きます。この建物の裏手が、7/11にご紹介した「政庁跡」となります。(境内から政庁跡へ直接出ることができます)秋田県護国神社秋田県秋田市寺内大畑5-3アクセスは「秋田城跡」と同じです。