カテゴリ:建築家とマーケティング
PART1では、物事は7次元空間で認識されると書いた。
今日は、建築家=デザインとマーケティングを統合思考する。とはどういうことか、考えてみたい。 デザインというものをシンプルに言うと、記号="物など"=意味(用途.分類と7次元空間内の座標)の"組み合わせ"が存在していない新たな物などを作ること。 部分部分に、既存の"組み合わせ"、が含まれていても、総合体として未知の"組み合わせ"を作ること。 さらにいうと、想像力によって、新たな7次元を認識させ、そのうちいくつかの軸で、ターゲットのウォンツが強く表現されるものを作ることと定義したい。 わかりやすい例をおもいついた。 小説という商品を作るとする。 今、受け入れられる小説は、"成長の感動(努力が報われる正義)"、"希望(生きるメンタルエネルギー増大)"、"見知らぬ文化の新鮮さ(感性の巾が広がる)"といった軸を含むということがわかったとする。(仮定) (こういった事自体わかるためにも単なるアンケートじゃなく高度な想像力が必要なのだが後述にしたい。) それがわかっただけでは、小説はできない。ビジネスの知識だけでは不可能。陳腐なものになる。 小説家自身が本音でその3軸を必要と認め、自分自身がわくわくしながら情景を想像し、感動しながら書いて初めて良い小説ができる。 しかもそのなかの1シーンや組み合わせが、3軸に合致するということはなかなか論理的に説明できない。主観的想像力によりそう感じるセンスとしか説明しようがない。 このようなプロセスでSAYURIができたのでは。 現代の消費者はそのくらい高度になっている。成熟の時代だ。 このような顧客視点の意味の深層を意識したプロセスで小説を作る小説家を、建築空間にあてはめたのが、建築家だときづいた。 そのなかでも、顧客にとっての意味に、店舗運営者にとっての意味、消費者にとっての意味、ビジネスとしての発想を全て含めて同時思考するのが商業施設建築家だ。 小説と違う点は、リアルな物体を作るわけであるから、実現可能性を常に意識して思考想像する点である。 頭のなかで、交響楽を組み立ててるみたいな感じ。 ちなみに私は一級建築士であるが、その試験に上記の能力は全く必要ない。万人共通の部分としての意匠-意味の関係、技術的知識と、技術的思考力と、前例や歴史の記憶があれば合格する。 資格は普遍的だと証明された知識を問う。それでも合格率6-10%程度だが。 成熟した現代では、証明できる段階より遙か上のハードエッジが求められる。 従って、"技術編集者としての設計者"と、"表面的なリサーチをするデベロッパー"、"実現性の判断能力が無く自分の内面のみで終始するアーティスト"の組み合わせでは、なかなか有用でハードエッジなものはできない。 私もまだまだ未熟だが、(商業施設)建築家は、ここまで重要なんだよ、ということを、身をもって表現できるようになりたい。 PART3は骨格となる新仮説提唱です。お楽しみに! 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.03.06 01:39:44
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