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「99.99%は仮説」という本がある。

 みんなが当たり前のことのように思っていることも、実は単に仮説にしかすぎない。要するに、思い込みを捨てなさいということであるが、社会科学、人文科学の立場からすれば、いささか複雑な気持ちである。

 人類の歴史が始まって以来、自然科学は大いに進歩したが、社会科学や人文科学は古代ギリシアからそれほど進歩していないのではないかと言われることがある。

 人間は科学以前に先入観をもっている。その先入観を覆す事実や理論を見つけたとき、自然科学なら実験などによって、だれの目にもはっきりと見えるようにすることができるが、社会科学や人文科学ではそうはいかない。「言語は早くから学習した方がよい」という命題を否定しようとしても、大衆の目の前で証明してみせることはできない。

 だから、社会科学や人文科学では、これまでの先入観を突き崩しても、定説になることがない。定説がないところに、仮説を出してきても意味がない。
「99.99%は仮説」と言えること自体、それだけ新しい理論が大衆にも浸透し、新たな「先入観」となって定着するということであり、羨ましいかぎりである。
 
「英語が世界に広まったのは世界でいちばん簡単なことばだから」という邪説を堂々と本に書く大学教授がいる。そういうものは、庶民の心に何となく浮かぶ思いであって、少なくとも、少しでも学問をかじったことのある人が書くことではない。少し物の理屈がわかる人なら、そんなことは政治経済的な結果以外の何物でもないことくらいはすぐにわかる。ところが、世間ではどうしても、「いちばん簡単な言語だから」が定説で、「政治経済的な結果」の方が逆に、新たに浮上してきた仮説のようにとられてしまう。

「会話ができるようになるには、本をたくさん読みなさい」ということも、同時通訳者をはじめ何人もの識者があちこちで言っている。これだって、一般の人にしてみれば、「ええっ、そんなことってあるのう」というくらいの感覚ではないかと思う。
「日本人が英語を話せないのは、そもそも英語が必要ではないから」や「音声言語として勉強していないからではなくて、そもそも絶対量が足りないから」にしても、そう簡単には受け入れてもらえそうにない。

 それなら逆に、そういうものこそ、実は定説なのだと宣言してはどうか。

 それでは、「受験英語は役に立つ」はどうか。これをそのまま定説にするのはちとまずい。受験英語にはあまりにも問題が多い。役に立つのはそのうち文法の知識であって、けっして受験英語そのものではない。

「学校で習う文法の知識は役に立つ」は定説であるとしておこう。 


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最終更新日  2006年08月31日 10時59分13秒
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