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 飲酒運転による悲惨な事故が毎日のように報道されている。
 罰則を厳しくして、一時は事故が減ったが、再び上昇傾向にあるらしい。


 いったい、なぜこんなことがいつまでも続くのかと思う人がほとんどだろう。なかでも、酒を飲まない人、飲んだら絶対運転しない人にとっては、飲酒運転がなくならないことがはがゆくて仕方ないはずだ。

 ヨーロッパでは飲酒運転対策は、日本よりはるかに進んでいる。


 だけど、ぼくはここでちょっと待てと言いたい。

 そもそもみんな、飲酒運転をする連中は全面的に悪くて、自分たちは全然悪くないと思ってはいないだろうか。

 騒音を出して、空気を汚す運転という行為そのものがもともと「悪」なのだ。

 そればかりではない。車そのものが殺人の道具である。包丁の喩えを出してきて、しかるべき使い方をすれば人を殺すことはないのは、包丁も車も同じであると反論する人がいる。だが、それはちがう。包丁は目的通りの使い方をしているかぎり、人を死なせることはないが、車はふつうに使っていても人を死なせる可能性を秘めている。
医療行為が本来傷害行為でありながら、患者を救うために一部の資格のある者にだけ特別に許された行為であるように、運転という行為も、産業の発展であるとか社会全体のバランスを考えたうえで、免許を有する者に特別に許された行為であるはずだ。

 車を運転する者はみな、走らせてもらっているという自覚がなくてはならない。それがないものだから、青信号で横断歩道をわたっている歩行者や、狭い道で行く手を遮る歩行者に「そこのけ、そこのけ、お馬が通る」式にクラクションを鳴らす。

 言っておくが、この行為はれっきとした道路交通法第54条違反である。


 要するに、もともといわば底が低い。底が低いものだから、それにちょっと飲酒が加わるくらいの感覚にしかならない。

 車を使わせてもらっているという「申し訳なさ」が心のどこかになければならない。そういう思いがあれば、底が高くなる。もともと「申し訳ない」行為をしているという意識があれば、そのうえに酒まで飲むことがどれほどのものか、よくわかろうというものである。

 国や警察はこの5年間、飲酒運転撲滅のためにそれなりの対策を取ってきたが、庶民は何もしてこなかった。何もしてこないどころか、車が好きでない人を変人扱いする蛮行を改めようともしない。

 そういう者たちに「飲酒運転を何とかしろ」と言う資格はないのである。


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最終更新日  2006年10月03日 17時53分02秒
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