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 スポーツに限らず、囲碁、将棋などのゲームにも、実人生を単純化、抽象化してツボのようなものを凝縮して見せてくれるという側面がある。
 
 囲碁は陣取り合戦にはちがいないが、強くなればなるほど、欲張って自分だけ得をすることが、いかに自然に理に反しているかを思い知らされる。
 人生をいかに展開していくかも、広い意味でのビジネスである。 


 学校のテストや受験なども、ゲームとして確立されれば、それなりに人生勉強にもなり、ビジネスモデルにもなりえたはずだが、残念ながらそうはならなかった。まず、普遍的なルールがない。それに、勝者がそのまま実社会でも得をするようにできている。それがスポーツやゲームと大きくちがうところだ。

 スポーツなら、たとえば中学時代にどこそこの大会で第何位になったということが、思い出としても一生残る。オリンピックは不振に終わっても、それ以外の大会の成績が歴史に残る。それが学校のテストでは、中学時代に全国学力テストで第3位になったなどという「栄光」を後生大事にしていてもはじまらない。高校時代にいくら学内何連勝とか、全国10位以内連続3回などという成績を記録しても、大学受験に受からなければ後には何も残らない。

 よく考えてみれば当たり前のことで、試合前の練習でいくらいい記録を連発していても、肝心の試合で成績を残せなければ、「この選手は練習ではいい記録を出していた」ことなど、いったいだれが公式の記録として残してくれるだろうか。


 学校のテストはビジネスモデルになりえないばかりか、スポーツの大会に伍すこともできない。1回1回のテストは練習の過程での仕上がりチェックにすぎず、大会と言えるのは、特別な場合を除いて、高校受験と大学受験の2回だけである。こればかりは、のちのちいくら落ちぶれても「栄光」として残る。


 ぼくなんかは受験なんてなくなってしまえばよいと思っているが、受験そのものは否定しても、勉強そのものは続けたいと思えば、まったく無視するわけにはいかない。受験のためにできるだけ時間をとられないようにしないと、勉強する時間が作れない。

 ぼくは昔から、義務教育なんて小学校だけでいいと思っていたし、未だにそう思っている。第一、勉強するのに学校なんて邪魔だと思っていた。だって、そうだろう。自分で読みたい本があっても、授業があれば出席しなければならず、その間、その本は読めないだろう。内職をする手もないではないが、そんなことばかりもしていられない。

 学校なんか行ったら勉強できないから、中学を卒業したら就職すると言ってゴネたことがある。そうすれば働いたお金で好きな本が買えるから、それで好きなだけ勉強できる。ところが、そうしたければさせてやるが、就職したら給料は全部家に入れろと言われて諦めた。やはり、親の方が一枚も二枚も上手だった。

 
 要するに、現行の学校制度では、「高校入学大会」と「大学入学大会」というくだらない大会がふたつある。親や教師がギャアギャア言うなら、お望みのところに入ってやろうじゃないか。その代わり、それさえちゃんとやれば、あとは好きな勉強をさせてくれ。


 大学のときには、スポーツからヒントを得たビジネスモデルが多少役に立った。陸上競技のなかでも中長距離をやっていると、冬場は走りこみとウエイトトレーニングに重きを置き、とにかく練習できる体を作る。シーズンになってレースが近づいてくると、徐々にスピード練習を加えて、レースにピークが来るようにもってくる。

 この冬場からシーズンのレースまでが、高一から大学入試までの3年間に相当するわけだ。冬場に体を作っているときに、インターバルのようなきつい練習をしても何の意味もない。その自明のことが、ことテストに関して、学校のやることはまったくなっていない。

 学校ではこれでもかこれでもかというくらいに、何度もテストがあるけれども、テストの前の日に覚えこむって、もしかしたらインターバル練習じゃないの。陸上競技で言えば冬場に相当する高一や高二でそんなことをしていったい何になる。だから、当然ぼくはテストの前の日だからと言って特別なことは何もしない。二年間はムリに覚えるなんてことはせず、ひたすら理解できているかどうかだけにしぼってモノを考えていた。高三になって入試が近づいてくると、インターバルに相当するものを取り入れて、当日に自分の記憶をピークにもっていった。


 大学は一校しか受験しなかったので、みんからよほど自信があると思われていたが、本当は一校受けるだけのインターバル練習やったら、もうしんどくてしんどくて、二校目はとても受けれなかっただけのことである。


 大学を出たころ、母がよく他人に言ってたことがある。


(うちの息子ときたら)陸上の賞状はめちゃくちゃ大事にしているのに、大学の卒業証書はくちゃくちゃになって机の下に落ちている。


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最終更新日  2006年10月07日 21時40分59秒
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