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 翻訳をめざす者に業の話をしたら、よくわからないと言われ、逆に仏教用語ですかという問いが返ってきた。

 確かに宗教的な意味合いがないとは言えないけれども、そんなにむずかしく考えないといけないものだろうか。

 日本マラソンの黄金時代、伊藤国光という選手がいた。

 いやあ、強かった。今でこそ2時間5分、6分なんて珍しくなくなったけれども、あの時代に2時間7分代を記録した。それなのに、優勝は一度もない。引退レースとなったボストンマラソンでは、「かつて優勝したことのない選手のなかで世界最強」と紹介された。

 とにかく、他人の後ろについて勝機を窺うなんてことができない性分なのだ。だから、2位、3位はやたらと多いけれども、勝つことはできない。業って結局はそれだけのことなんじゃないかと思う。もちろん、宗教や哲学を究めようと思っている人には、そんなもので済ますことはできないけれども、日常の生活のなかで業と言えば、その程度の理解でいいんじゃないだろうか。

 ぼくなんかも、レベルこそちがえ、小さい集団になかにいるのはいいが、大きな集団が大嫌いである。だから、大きな集団ができてしまったら、後先のことを考えず、集団を崩しにかかる。そうせずにはいられない。それが業というものだろう。素質がなくて幸いだった。もしも、一線級の力があったとしたら、その業のために大舞台で泣くことになったにちがいない。

 長嶋茂雄の三大失策と言われるものも、まさしく業の成せる業(わざ)ではないだろうか。あれだけの大選手になっても、一塁からいったん三塁まで走ってしまって、フライを取られたのがわかると、二塁を省略して対角線上を一塁まで戻ったり、ホームランを打ったのにベースを踏み忘れたり、前のランナーを追い抜いたり、草野球の選手でもしないことをやっている。

 それでも、長嶋選手ほど国民から親しまれ、愛された野球選手はいない。

 伊藤国光だってそうで、いつもコバンザメみたいに他人の後ろについて何回も優勝を飾った選手よりも、ずっと親しまれている。

 業ゆえに、むしろ人気者になったと言えるだろう。


 その点、ぼくなんかは逆で、もうひとつの業、「外人を相手にすると燃える」はいいとして、「大企業の選手を見ると向きになる」というのがある。一度、駅伝の時に競技場内で○○金属と書いたユニホームが見えたので、「くそっ、大企業なんかに負けてたまるか」と渾身の力をふり絞ってスパートをかけたら、何と数十メートルの差を逆転することができた。

 でも、返ってきたのはほとんどがブーイングだった。「最後にあれだけ出せるんだったら、どうしてもっと早く出しておかないのか」

 いや、このぼくだってそんな力が残っているとは思っていなかった。前の選手がもし、○○走友会とかだったら、もう目いっぱいのところに今さら闘争心など涌くはずもなく、数十メートルの差を見て負けを観念していたにちがいない。


 伊藤国光や長嶋茂雄のように、業を逆手に取って慕われる選手になるか、ぼくのように業ゆえにブーイングを受けるか。業は業であるかぎり、どうしようもない。大切なことは、その業とどうお付き合いしていくかということではないだろうか。




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最終更新日  2006年10月16日 10時33分29秒
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