300559 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

辞書も歩けば

辞書も歩けば

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

フリーページ

日記/記事の投稿

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

SOHO翻訳者の仕事部屋 まな!さん
翻訳立国トラドキス… 人口500万人の国さん
遠方からの手紙 かつ7416さん
学校に殺される 真琴2115さん
Peptide Designer Bl… PeptideDesignerさん

コメント新着

shivaji03atTwitter (よしやま)@ Re:トライアルに落ちない方法(11/04) 懐かしい、です。
浪速のつっこみ男@ Re[1]:再びロシアの小噺(10/22) ほにゃさん >>その速さなら10分じゃ。 …

バックナンバー

2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2006年10月24日
XML
カテゴリ:翻訳
 数年間翻訳を教えていた某学校の入学案内。講師であるぼくの知らない間に、翻訳科入学資格、TOEIC810以上と書かれていた。そのとき真っ先に頭に浮かんだのは、「講師でよかった。受講生だったら門前払いされていた」という安堵の気持ちだった。ぼく自身TOEICは受けたことがないし、受けるつもりもないが、仮に受けたとしてもせいぜい700くらいが関の山だろう。

 受講生のなかにはいきなり905を取った者もいる。それでも英文を読ませると、あちこちに解釈の誤りが見受けられる。偶発的な誤りや勘違いは仕方がないが、やはり英文を読めていないと思えるところがある。

 ぼくは常々、翻訳に英語力は無用、大切なものは思考力であると言っている。ところが、「でも、最低限の英語力は必要でしょう」と切り返されると、返すことばがない。ううん、どう説明すればわかってもらえるのか。そもそも英語力なんて漠然としたものを基準にして、いったい何がわかるというのか。とは言うものの、思考力の方がはるかに曖昧模糊としている。

 スポーツで考えてみると、筋力や心肺機能を測定すれば、どのスポーツでどれだけのことができるか、ある程度の判断はできる。あとは神経ネットワークの問題になる。

 この神経ネットワークには瞬間的なものも含めて短時間のものと長時間のものとがある。この長時間のものが思考力にほぼ相当すると考えてよかろう。スポーツでは神経ネットワークの瞬間的な働きが重要になるが、試合全体の作戦ということになれば長時間にわたるものも無視することはできない。

 さて、英語力が何に相当するかというと、一般の人たちが漠然と考えている英語力なるものは、筋力や心肺機能のほかに、短時間の神経ネットワークを加味したものにほぼ相当するのではないかと思う。その意味では、単に筋力や心肺機能だけを問題にするよりも、はるかに現実的で親切な基準である。一見どのスポーツにも通用する基礎的な力であるように思える。仮にそういう英語力なるものが存在するとして、問題はそれを測る手段があるかどうかである。

 受講生のなかにオーストラリアに留学して、「英語はほぼ話せるようになりました」という人がいる。だから、本人は英語力があると思っているが、ぼくから見れば英語が読めていない。いったい、どこに問題があるのか。この人はオーストラリアで英語を使ってふつうに生活することができるようになったから、それで英語力がついたと思っている。でも、それはいわば「オーストラリアでふつうに生活する」という競技種目で、それなりに活躍できるようになったというだけのことではないだろうか。

 TOEICや実用英検もこれと同じように、英語力を測る手段というよりはむしろ、それぞれTOEIC、実用英検という独立した競技種目であると考えてみると、これまで疑問に思っていたことに合点がいく。

 バスケットボールの上手な人なら、何もスポーツをしていない人よりはバレーボールが上手だろう。そこまではわかるけれども、それ以上のことはわからない。

 筋力や心肺機能に相当するものを知ろうと思えば、少なくとも2000語くらいについて、何となくわかっているだけなのか、それともきちんと把握できているのかを徹底的に明らかにする必要がある。なかでも、冠詞や orなどの接続詞がきちんとわかっているかは、将来どれだけ伸びるかを占う重要な鍵でもある。

 そういう肝心なところを押さえないで、いかに使いこなせているかだけをひたすら問題にしたのが、一般の人たちが考えている英語力である。

 バドミントンのような球技だと、はっきりと点数で勝負が決まる。その点数や勝ち負けだけで判断したのが、TOEICの点数や英検の成績であり、一般の人たちが考える英語力である。しかし、本当にわかっている人は勝ち負けや点数なんかでは評価しない。ラケットの持ち方や使い方、体の動きを事細かく観察する。そういう基本動作は将来につながるが、勝ち負けや点数はその場かぎりのものである。

 基礎練習をしないでいきなりコートに入っても、素人目にはものすごく上手なアマチュアにまではなれる。しかし、実業団では通用しない。

 TOEICや英検では点数や合否は出してくれても、「この人は冠詞のセンスが抜群にいい」、「意味領域の捉え方がものすごくいい」というような評価はしてくれない。そういうものこそが本当に大切なものであるのに。


 この辺で「ちょっと待て」と言われそうだ。「それはよくわかった。でもなぜ、翻訳に英語力は無用なのか。やはり、そういう意味での英語力が必要なのではないか」

 これについては、またの機会に書かせていただくことにする。


人気ランキング青バナー←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年10月26日 08時59分05秒
コメント(0) | コメントを書く
[翻訳] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X