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カテゴリ:翻訳
 この前、囲碁講座を見ていたら、武宮九段が「アマチュアはいちいち手を読みますけど、プロというものは手を読まないんですよ」と言っていた。

 やや語弊のある言い方でもあり、世間の常識からすれば逆ではないかと思われるかもしれないが、まさに言い得て妙であると思う。「だって、プロは1時間でも2時間でも長考することがあるでしょう」と言いたいけれども、「長考」ということばが自然に出てくる人であれば、そんな野暮な疑問を呈することはしないだろう。

 プロは手を読むのではなく、その時点でどこがいちばん重要であるか、何がいちばん重要であるかを考える。


 なるほど、翻訳もいっしょだと思って、いつものことながら嬉しくなった。碁は19×19から成る19路盤の上に打つので、効などの問題を捨象してごく単純に考えると、361の階乗通りの組み合わせがあることになる。

 こんな気の遠くなるような数字をまともに相手にしたのでは、いくら時間があっても足りない。だからこそ、囲碁ではコンピュータでも未だに人間の頭脳を超えることができないでいる。

 翻訳でも、仮に単語が2つ並んでいる部分があって、それぞれに20ずつ訳語が書いてあれば、この部分だけを取っても400通りの組み合わせが存在することになる。そんなものをいちいち考えていたら、とても翻訳なんかできやしない。かといって何も考えなければおかしな訳になる。

 不適切な訳語を選択を防ぐにはどうすればよいかを書かせると、たいていは次のような答えが返ってくる。


 辞書の訳語にとらわれず、英文から的確に情報を読み取り、日本語のなかでそれに適合することばを探す。そのためには普段目にする文を常に気に留め、文中のことばに疑問を抱いてその疑問の答えを探るなどして、ことばの正しい用い方を知り、ことばとことばの結びつきに対する感覚を養い、自然な日本語が書けるようにする。


 もちろん、心がけとしては見上げたものであるが、具体的なものが何もない。こういう情緒的な心がけは、まったく意味がないことを知るべきである。日々そういう心がけをもって日本語に接する必要があるのはまさにその通りであるが、そういう取り組み方をするかぎり、日々目にする原文は明らかに処理能力を超えている。

 学校では、ほぼ1対1で対応する訳語を覚えさえすれば処理できるような例文しか出してこない。いわば離乳食のようなものを与えられていたわけで、一挙に大海原に放り出されたときに、どうすればよいかを教えられていない。

 

 どうすればよいかを教えられていないばかりか、文科省、教育委員会によって「自ら学ぶ力」を奪われている。

 言語というものは基本的に、人間の処理能力を基準にして作られてきたものである。そうであるからには、自身の処理能力の特長を活かさなくては話にならない。人間にはコンピュータとちがって「手を読まない」ですませる能力がある。読むところと読まないところのメリハリをつけること。その力の入れ方、抜き方を覚える以外に道はない。

 具体的なことはおいおい書いていくとして、だからこそ、ぼくの講座では「~は絶対に使わない」、「~以外は絶対に~と訳さない」、「~の分野で~が出てきたら必ず~と訳す」などの指示を出している。「手を読まない」ことを覚えてもらうためだ。手を読まないですませるところがわかってくれば、肝心なところ、本当に考えるべきところに時間を使うことができる。

 それなのに、「指示が多すぎて覚えきれない面があります」などという声もあるが、覚えなくてはいけないことをできるだけ少なくするための指示なのだから、もう少し「手を読まない」ために力を使ってほしい。


 もう一度、「アマチュアはいちいち手を読みますけど、プロというものは手を読まないんですよ。どこがいちばん重要であるかを考えてるんです」という武宮九段の言葉に戻ってみよう。

 われわれは原文を見て、どこを訳そうかなんていちいち考えていない。われわれに見えるのは、心してかからないと落とし穴が待ち受けているようなところ、しっかりとしめないとクレームがつくようなところだけである。


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最終更新日  2006年10月26日 08時58分43秒
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