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カテゴリ:翻訳
 日本とヨーロッパとの教育のちがいは、日本では子どもだから仕方がないといって、よくないこともある程度大目に見ながら育てていくのに対して、ヨーロッパでは子どもは不完全な人間であるとの考えの下に、容赦なく叱りながら教育していくことにある。その代わり、ひとたび一人前になったと認めれば、本人の自主性を尊重し、もはや事細かく注意したりはしない。

 その意味では、ぼくの講座はさしずめヨーロッパ流だ。最初は細かい指示にうんざりする「子どもたち」もいるが、そこを乗り切って仕事を取れるようになったときに、その意味を理解する。クライアントによってさまざまに異なる要求にも難なく対応できる習慣が身についている。自分でもすごく楽に仕事ができることが実感できるはずだし、大量の仕事を何人かで請け負ったときに、指示を守るのに苦労した経験が生きてくる。その段階では、ぼくも細かいことは何も言わない。好きなようにやらせる。多少気持ちがゆるんだって、その辺の翻訳者を集めて俄仕立てのチームを作ったのとは雲泥の差があるはずだ。 

 飛びぬけて優秀なやつはいないが、みんな大切な「子どもたち」だ。大量の仕事が発生したときには、何も言わなくても用語の統一などでリーダーが現れ、チームを率いてくれる。「親」の口から言うのも何だけど、頼もしいかぎりだ。

 大量の仕事に取り組むときはたいてい、翻訳会社から要請がある。用語はもちろん、文体の統一にかけても高い信頼を勝ち取っている。つい最近、大量の仕事があるということで、ある翻訳会社が医学分野の翻訳に数十人の翻訳者を募集していた。それを知って、チームの思いが微妙に揺れた。これまで活躍してきた先輩たちはほとんどふさがっている。こういう仕事こそ、寄せ集めの翻訳者ではなく、「子ども」のころから同じ文体、同じ翻訳理論をめざしてきた者たちで請け負いたい。だが、非常にむずかしそうなトライアルもある。果たしてうちのチームからいったい何人がこのなかに食い込めるか。

 こうなったら、うちは二軍で勝負する。一軍はめいめいがかかえている仕事のために温存する。全員討ち死にもありうる。そのときは、もう一度初心に帰って勉強しなおそう。

 だが、「子どもたち」は戦前の予想をはるかに上回る好成績をあげた。実に二人に一人が合格、全合格者数のほぼ3割をうちのチームで占めた。もちろん、だからといって勝利の喜びはない。あるのは、これから始まる苦悩の予感だけだ。

 翻訳会社は実に細かな指示を出してきている。たいていの翻訳講座は日本流だから、そういう講座育ちの翻訳者を公募するかぎり、いつまでたっても社員を一人前扱いしない日本社会と同じやり方をするのはある程度仕方がない。それにしても、プロを公募したはずの仕事で、大人→成人、子ども→小児、病人→患者、病気→疾患、などという指示を出さなければならないこと自体、きわめて異常である。そんなことは医学の翻訳では常識であって、せいぜい確認程度にとどめるべきものである。百歩譲ってそれはいいとしよう。問題は、そういう当たり前の指示と、誤謬ないし無知に基づく指示とが混在していることにある。

 そもそも指示とはいったい何なのか。指示には二重の意味がある。ひとつは客の要望。もうひとつは、現場監督による統率である。基本的には現場監督の指示には従わなければならず、客の要望は尊重しなければならない。ここでもし、現場監督の指示に疑いをもち始めたら、作業員はどうすればいいだろうか。どうも手抜き工事をようとしているらしいとか、現場監督が工事の内容をよくわかっていないのではないか、あるいは客の要望に反するのではないかということになれば、作業に当たるものは当然苦しい立場に立たされる。生活のため黙って仕事を続けるか、納得のゆくまで現場監督と掛け合うか、捨て台詞を吐いてやめてしまうか。

 現場監督の指示はもちろん、客の要望でも無条件に受け入れなければならないことはない。お客様には誠心誠意奉仕しながらも、ムリな要求は毅然としてはねつける姿勢が必要である。また、客が商品についてよくわかっていないことがあれば、専門的な立場から助言をしてさしあげるのも、大切な仕事のうちのひとつである。

 翻訳の世界では、翻訳のことをよくわかっていない者がこの現場監督の位置に立つことが多い。今回の仕事も例外ではなかった。翻訳理論はまるで天動説、英語の理解は元素の存在すら知られていなかったころの物理学、日本語はアジアの留学生にもまちがいを指摘される始末。

 確かに、指示の文頭には「原文の意味を正確に伝える正しい日本語で」とある。ところが、個々の指示を忠実に守っていくと、原文の意味がずれ、日本語としての体をなさなくなるような仕組みになっている。あえて指示に反して原文の意味を汲み、本来あるべき日本語にすると、「もっと英語に忠実に訳してください」とフィードバックが返ってくる。

 ちゃんと英語のわかる人に監督になってほしい。英語が本当にはわかってないものだから、構造と形態でしか判断できない。最近、イギリスで高等教育を受けたという人がぼくの受講生になった。この人の訳文には感動させられた。まるで英語の字面を追っていないけれども、伝わってくる情報はまさに英語そのまま。こうでなくちゃいけない。それに、長い間日本にいなかったはずなのに、日本語もすごくいい。

 原文の構造を踏まえた訳文でないと、チェックするのに時間がかかるというのは、要するに英語がわかっていないからで、本当に英語がわかっておれば、肝心な情報だけに目がいく。逆に、原文の構造をそっくりそのまま移されたりしたら、正しく解釈しているかどうか判断するのに時間がかかる。

「もっと英語に忠実に」と言われても、英語のいったい何に忠実なのか、はたと困ってしまう。そのあとに「あとで監修者がチェックしやすいように」と書いてある。なるほど、それで読めた。でも、これって、「監修者は英語の素人です」と堂々と宣言しているようなもの。もし、その監修者が現場監督の恩師だとしたら、それこそ恩師の顔に泥を塗るような行為だ。

 このように、作業員の上に現場監督、さらにその上に総監督がいて、出版社のことは一応考えないとしても、本当のお客様はずっと遠いところにいる。いったいどうやったら、そのお客様にいい訳文を届けることができるのか。

 せっかくいい訳をしても、何重ものチェック機構を通過する間に少しずつ改悪されていく。何でもいいから仕事がしたくて応募したわけじゃない。今、「子どもたち」のストレスが最高潮に達している。



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最終更新日  2006年10月30日 09時28分49秒
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