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ぼくが『学校英語よ、さようなら』(文芸社)を書いてからもう4年もたつというのに、未だに「辞書に書いてある」と主張する人が後を絶たない。
そう、辞書離れができていない。 辞書とは親のようなものだ。 いい歳をした人が「どうして、そんなことをしたのか」と問われて、「お父さんがそう言ったからです」と答えるのを想像してみるといい。 小学生までならいざ知らず、大きくなると親の言うことにもまちがいがあることくらいはわかるようになる。また、親が育った時代とは社会環境も大きく変わっているため、何もかも親の言葉を真に受けていたのでは、社会生活で困ることになる。 だから、辞書に書いてあることは親の言葉だと思えばよい。 親離れができていないだけなら、まだつける薬はある。ところが、近ごろの翻訳家志望者ときたら、親離れができてないくせに、親を信頼していない。だから、もっともっと辞書をよく読めと言っても、いっこうに聞かない。 一方で「辞書に書いてあるからと言って無条件で使うな」と言いながら、もう一方で「もっとよく辞書を見ろ」というのは矛盾していると思われるかもしれない。 それも、辞書は親だと思えば、けっして矛盾してはいないことがわかってもらえるはずだ。 本当に困ったときこそ、親に相談に行け。確かに親の考えが正しいとはかぎらない。今の自分とはまったくちがう世界に生きてきた人かもしれない。しかし、親は親なりに経験を積んでいる。具体的な指針を教えてもらえることはまずあるまい。まったく事情を理解していないと思うこともあるだろう。それでも、どこかにきっとヒントがある。教えてもらうのではなく、その手がかりを自分で見つけ出せ。 そんなくだらないことで、いちいち相談に来るなとどやされるかもしれない。それもまた、貴重なヒントにちがいない。 辞書に書いてない。それこそ、辞書がぼくたちに伝えてくれる最高の情報だ。 隅々まで読んでそれを確認した人と、途中でどうせ辞書ではわからないと思って投げ出した人との間には、やがて天と地ほどの差がつく。 最後にもう一度。辞書とは親のようなもの。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月07日 12時34分46秒
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