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カテゴリ:翻訳
日本語としては通じる表現であるのに、なぜ使ってはいけないのかわからないことが時々あります。
受講生からこんな疑問が寄せられることがある。 「何を言っとるか。翻訳の勉強というものは、日本語として通じる表現のなかで、自分が書こうとする文の内容に応じていかに使い分けるかを学ぶものだ」 単純素朴と言うべきか、無垢と言うべきか。そもそも、この類の質問にまともに向き合うのはどの程度の年齢の生徒を相手にした場合であろうかと、はたと考えこんでしまう。 ぼくの「門下」にはもうかなり仕事ができるようになった翻訳者が何人もいるが、だれひとり、上のような質問にまともにおつきあいする者はいない。ぼくはいつも「甘やかしすぎだ」と叱られている。 数年前に受講案内を請求した相手から「(受講内容、課題の提出頻度などが)自分には荷が重いと思うのですが」というなんとも甘えた「訴え」があったので、担当の者が添削の要領で「優柔不断の方はお断りします」と書いて返したら、逆ギレされた。 仕方がないので、「私の監督不行き届きです」と平身低頭謝罪したが、今思えば、こちらからキレてやればよかったと悔やまれてならない。 自分にできる自信がなかったので、「教えを乞うたのです」というのが相手の言い分だった。それを「優柔不断」の一言で突っ返すなんて、最低限の礼儀もわきまえない輩だというわけだ。 本当にそうだろうか。こういうことはみな、野球に喩えて考えればよくわかる。入団試験のさいに練習内容の説明を受けて「その練習、私には荷が重いのですが」なんて言うこと自体、応募しておいてその球団に失礼なことだし、第一プロというものをバカにしている。 野球なら、このプロをバカにしているってことがだれにでもわかる。 翻訳も早くそうなってほしい。 そのときこそ、このことばをじっくりと味わいたい。 キレるってもしかしたら、素敵なことかも。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月09日 11時21分53秒
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