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カテゴリ:翻訳
翻訳者はいつも弱い存在である。
請け負う仕事の単価をどうやって決めるか、むずかしい問題がある。ぼくなんかは、やりたくない仕事があると、(正確にはほかにやりたいことがあって、できれば今回は見送りたい仕事があると)多少高めの単価を提示する。つい最近もクロアチア語の仕事で5000円の単価を提示したら、絶対に来ないだろうと思っていた仕事が来た。来たかぎりはどんなに自分の都合が悪かろうと請けざるをえない。それでこそ、翻訳者と翻訳会社、クライアントとが対等の関係にあると言える。ぼく自身は幸いにも、ポーランド語のおこぼれでクロアチア語もものにしたが、もしも旧ユーゴスラビアの動乱のなか、命がけで現地に行ってクロアチア語をものにした人がいたとしたら、単価5000円が高いなどとは口が裂けても言えないはずである。 その単価が発注者側の都合によって一方的に決められるとすれば、本当なら労働基本法上、独占禁止法上、大きな問題であるはずだ。翻訳者はそういうことにまったく無頓着である。 ついこの間、少しばかり大きな問題があったので、弁護士の先生に相談する機会があった。翻訳会社が翻訳者を募集したまではいいのだが、翻訳作業に関する指示書があまりにも高圧的なもので、翻訳者に心理的圧迫を加えるものとなっている。その後試訳を提出して最終的に単価を決定するという。 ちょっと待て。「××は確認しましたか」、「××はありませんか」、「誤訳は最大50%の減額になります」、「半角、全角のミスは100円のペナルティーにします」など、考えうるかぎりの心理的圧迫を加えて、そのあとで単価を決定するなんて、明らかに翻訳者に心理的圧力をかけ、それによって自分たちの有利なように事を運ぼうとしていることになりはしないか。違法ではないか。ぼくは六法全書をひもときながら、その違法性を具体的に指摘する作業に取り組んだ。 それがどうだろう。弁護士の先生が指示書を一目みるなり「違法です」の一言。ぼくが費やした時間はいったい何だったのか。結果的にはぼくの考えはまちがいではなかった。その意味では弁護士の先生に見解の正しさを評価してもらったことになる。ぼくの感覚はまちがってはいなかった。それにしても、専門家が一目でわかることに、あれだけの時間を費やしたなんてと思うと、何とも複雑な気持ちである。 でも、そのあとがまた「人生は辛い」、「現実はそんなに甘くない」ことを思い知らされるものとなった。法的には100%こちらが正しい。ただ、実効力のある方法として相手側の翻訳会社に指示書の撤回を求めるには、公正取引委員会が実際に動かなければならない。公正取引委員会はそう簡単には動かない。それこそ、この翻訳会社から仕事を請けている翻訳者が少なくとも10人くらいが訴えを起こさないかぎり、公正取引委員会が重い腰を上げることはないという。 だが、道は断たれたわけではない。もしも公正取引委員会が動けば、そのホームページにかくかくしかじかの翻訳会社のかくかくしかじかの指示書は違法であるから、修正変更を求めたという趣旨の文が掲載されることになる。 それにしても、翻訳者にとって何とも「遠い夜明け」である。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月21日 16時23分05秒
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