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先日、高校時代の陸上部の同窓会があった。大学模試の話になって、物理学で助教授をしているやつが、「物理の点数、全国で55番になったことがある」と言って自慢していた。ぼくだって化学は100番とちょっとだった。もちろん、1万何千人のなかでの順位だ。そもそも専門でも何でもない分野で100番取るのと、自分の専門で55番を取るのとどっちがすごいか。そう切り返したら、そいつは何も言えなかった。
いや、そんなことよりもだ。もっと肝心なことがあるだろう。大学模試で55番になることより、今物理で食べていることの方がずっとすごいことなのではないのか。 冷静に考えれば、そんなことはだれにでもわかる。わかるけれども、ついつい話題にしてしまう。高校時代の競争がそれほど熾烈だったと言えるのではないだろうか。 話はちょっと飛んで、山下佐知子というマラソン選手がいる。高校時代は別に目立った選手ではなかった。都道府県対抗女子駅伝で脚光を浴びたかと思うや、それからわずか数年で世界選手権銀メダルという快挙を達成してしまった。えっ、世界との差ってそれだけしかなかったの。ぼくなんかはそう思ってしまった。 仮に高校時代に地区で5位に入ったと言って喜んでいたって、大阪だけでもその地区が5つある(あった)。そのうえに近畿があって全国がある。大学や実業団に入ってやっとアジア大会の代表になったって、4位に終わったら「アジアで4位じゃ、世界に行ったら予選落ちだぞ」と言われる。何重にも壁があって、気が遠くなるような世界がそこにある。それを山下佐知子さんは、何か手品でも使ったかのように、スーッとすり抜けてしまった。 何というか、受験競争と言うものは凄まじい。中学時代、学年で1番をめざしてがんばった時期もあったが、今になって冷静に考えてみれば、そんなもの、とてもじゃないけど取れるものではなかった。あとでわかったことではあるが(もちろん、あちこちの高校に散らばっているので、情報を総合しての話である)、現役で東大二人、京大数人、阪大、神戸大なんて数え切れないくらい入っている。高校の話ではなく、中学の話である。そんなところで1番なんかになれるわけがなかったのだ。 地区で5位どころか、学校でもなかなか10位内に入れない。そのうえに地区があって、大阪があって、近畿があって全国がある。 これじゃあ、どうあがいてみたって、先は見えてこない。事実、インターネットで検索してみると、中学時代の「秀才」たちの名前なんかどこにも見当たらない。ぼく自身の名前は何百件となくヒットするのに、当時ぼくが逆立ちしてもかなわなかった者たちの名前が、どこを探しても見当たらない。あいつらはいったい、どこに消えてしまったのだろう。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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