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カテゴリ:翻訳
さて、ふたつ目の条件、「古今東西の棋譜に通じていること」 ゲームでもスポーツでも、まずルールがあって、定石(定跡)があり、戦術(戦法)がある。 外国語学習でも翻訳でも、ルールを覚えただけで、あとは多少とも定石を覚えれば戦えると思っているがいるが、それでは草野球でも通用しない。 前々から言っているように、ぼくは英語ができない。 それでもいっこうに困らないのは、医学にせよ他の分野にせよ、原文を見たときに「ほう、その手で来るか」と思えることだ。 昔、塙保己一なる盲目の偉人がいて、講義中に風が吹いてろうそくの火が消えたとき、弟子たちがざわざわしだした。どうしたのだと訊くと、「先生、灯が消えて字が読めません」 それに答えて保己一いわく。 目あきというものは不自由なものじゃのう。 翻訳者も。スウェーデン人やフランス人の書いた英語に出くわすと、とたんにざわざわし始める。 現在完了はこんな使い方はしないとか、secondのこんな使い方はないとか、やたら御託を並べるのが好きな人が多い。 英語のできる人間は不自由なものじゃのう。 つくづくそう思う。ばかばかしくて聞いていられない。使い方はしないもなにも、現に目の前に実際に書かれた文がある。 ああ、なるほど、スウェーデン人の書きそうな文だ。フランス人のやりそうなことだ。 そういうことがわかれば、文意なんて一発でわかる。 もちろん、れっきとした英米人の書いた英語だってそうで、ぼくなんかは第二母語のスペイン語はともかく、英語は辞書を引かなければわからない。 ただ、ぼくには医師や研究者の手のうちがわかっているから、一目みただけで、ちょっと変わった動詞の使い方をする人だとか、凝った文を書く人だということがわかる。 原文を英語としてみるのではなく、書いた人間の戦術としてみる。そうすると、こわいものは何もない。 同じことを言っているはずなのに、なぜ違う単語を使っているのだろうと悩む人がいる。技術翻訳だから、訳し分けないといけないのではないかと悩む人がいる。書いた人間の手のうちがわかれば、答えは自ずと出る。文芸作品はこう、技術はこうというような御託は不要になる。 ルールと定石のことしか頭にない英語人間には、いつまでたっても英語が読めるようにならない。 英語のできる人間は不自由じゃのう。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月06日 07時31分38秒
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