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カテゴリ:翻訳
大鵬や瀬古選手の全盛時代、いちばん素質のある人間がいちばんよく練習するのだから、ほかの力士や選手がかなうはずがないと言われた。 時代は下って、相撲界でも最近の力士はあまり稽古をしないと言われる。肝心のしこ、てっぽうを疎かにして流行りの筋トレで手っ取り早くすまそうとするから怪我が多い。 マラソンでも言われたことはするけれども、自分から工夫して練習メニューを作ろうとする選手が少なくなった。環境が整い、レースでもペースメーカーがつくから2時間8分台くらいは簡単に出せる。記録は出るけれども、実に脆い。2時間○9分台のぼくが言うのも何だけど、ぼくの方がまだ記録相応の力や粘り強さはあった。 翻訳でも同じことが言える。 ネットの発達でいい翻訳が増えたかというと、そんなことはまったくない。むしろ悪くなっている。 ぼくらのときというか、ぼくらの駆け出しのときは、用語ひとつ調べるのに本を探しまわり、1冊平均5000円の本を買った。用語ひとつ解決するのに5000円使ってもいいくらいの覚悟で臨んでいた。その日の晩御飯は食べなくても、本は買った。車庫はなくても、車3台は入る書庫があった。 それがネットという「器用貧乏」なものができたおかげで、クリックひとつで「玉石混淆」の用語が見つかるようになった。それと同時に、「正しい、または正しくない用語」などという日本語を愚弄した「ふざけた」西ハワイ語が出没するようになった。 かくなるうえは、日本語のいちばん元のさらにその元からたたきなおさなければならない。 こうして、出発したのがわが国唯一の翻訳者のための日本語講座である。 そのなかで、情報子と情報子の結びつきを再認識してもらうために、新聞等から拾い出す作業を課している。 たとえば、「削減する」という動子には「二酸化炭素排泄量」、「人員」などの名子は結びつくが、「貧困」という名子は結びつかない。(それでも、天下の朝日新聞が堂々と「貧困削減」などと使っていらっしゃる。) まだ拾えていないものを拾ってくださいと出題したら、ごく一部の人を除いて、申し訳程度のものを挙げるだけで終わってしまったり、だれにでもわかるようなものだけを延々と挙げている人もいる。 言われた作業はこなすけれども、自分でそこに意味を見出して問題の解決につなげることができていないように思う。 まさに、現在の温室育ちのスポーツ選手と同じである。 二言目には「日本語の表現力がない」、「語彙が少ない」などと言うが、本当に真剣にその問題を解決しようとしているとは思えない。 ちびまるこちゃんの解説者なら一言、「ないのは熱意である」と斬り捨てるだろう。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月20日 10時46分40秒
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