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年金の一面性 安心のための保険料が家計の負担に 民間保険の広告の一部である。あまりにも当然すぎることだ。将来の安心はほしいけれども、現在の負担とも天秤にかけなければならない。 保険会社が他人からお金を取って将来の安心を売るかぎりは、第一に計算に入れることである。 ところが、年金の負担額は経済状態に関係なく一律になっている。 税金、健康保険から公立保育所の費用まで、経済状態に応じた額を支払うようになっているのに、なぜ年金だけが一律なのか。 なぜ年金だけが将来の安心をこれほどまでに強調するのか。それなら税金だって、健康保険だって同じであるはずだ。 税金を納めていただければ、この町で健康で文化的な生活が営めますよ。 病気になったときの安心のために健康保険を納めましょう。 そういうことはあまり言われない。 だいたい、食べ物でもそうだろう。何度も「おししいですよ、おいしいですよ」といわれたら、底が見えてしまう。英語だってそう。楽しくなけりゃあとか、あまりにも、科白がわざとらしい。 本当においしいものなら、ほおっておいても客が嗅ぎつけてくる。英語が本当に楽しいものなら、みんなこんなに困るはずがない。 年金もそれと同じ。 国民から将来の人生設計に対する選択肢をことごとく奪い去り、払う時の負担をいっさい考慮せず、安心ばかりを強調する。 立て直しなど無用。 破綻の危機に瀕した銀行と同じで、希望者の解約を認めるのが筋である。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月03日 11時04分34秒
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