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 アメリカの見えない影

 新しい家族がともに1キロを超えた。オスの名がタリン、メスがくのいち。
 タリンはエストニアの首都にあやかったもので、くのいちとつけたのは、ちょうどツキノワグマにある月の模様の代わりに、手裏剣を思わせる模様があったからだ。

 こうして家族が増えると、子どものころに飼っていた猫のことを思い出すことが多くなった。
 初めて飼った猫がラフティ、たった1年で車にはねられて死んだ。そのあとに来たのがピッキー。9年いて、何度も出産したが、育ったのは3匹だけだった。ラッキーはよそにやり、タイガーが半年で死んだ。ロッキーは3年いたが、ピッキーが死んで半年後、出て行ったまま帰ってこなかった。
 今になって気がついたことだが、昔飼っていた猫の名はどれも英語っぽい。
 それが、ばくが大学に入ってからは、ボン次郎、チー子など、日本的な名前になった。以後、今に至るまで、英語っぽい名をつけたことはない。

 思えば、子どものころは何もわからず、動物に名前をつけるときには、英語っぽい名前しか浮かんでこなかった。
 ある意味で、あたかも英語圏が世界の全体であるかのように思いこまされていた。

 英語圏以外に目を向けることを、直接権力で押さえつけられていたわけではない。英語以外の言語を学ぶことを禁じられていたわけではない。
 現に、中学2年のとき同じクラスにフランス語講座を聞いているやつがいて、テキストを見せてもらった。どんなにかやりたがったが、「席次を管理されている」身で、学年順位を落とさないようにしながら、フランス語を学ぶことなど不可能に近かった。中国語をやろうと思ったこともあったが、それも同じ理由でやはりどうすることもできなかった。

 事実上、英語圏の外を覗くことは不可能だった。
 そう思うと、子どもの頃の猫の名がどれも英語っぽいことに、腹立たしい思いがする。かといって、今さらピッキーを別の名に変えようなどとはもちろん思わない。ぼくが小学校のときから大学に入るまでずっといっしょにいてくれて、いわばぼくの成長を見守ってくれた。死後34年たった今も、その記憶は薄れてはいない。
 それだけに、3匹の子どもも含めて、あの英語の響きに複雑な思いがつきまとう。

 アメリカと英語の見えない影。その影にそこまで支配されていたとは、今さらながらにすごいことだと思う。

 アメリカと英語の呪縛から自らを解き放つ戦い。それが大学に入ってからのぼくの人生だった。その戦いに突入しようとするとき、ピッキーが死んだ。
 独りさびしく、床下に姿を消した。

 病床にあって、たまたまぼくが手を高く振り上げたのを見て、叱られていると思って怯えた。なんで、こんなときにお前を叱らなきゃならないんだよ。
 そのことが未だに悔やまれてならない。

 家を改築したとき、骨が見つかった。
 その小さな頭蓋骨を何度も撫でながら、あのときのことを謝った。

 今うちには、アフリカ的な名前の猫、漢字二文字の純日本的な名前の猫もいて、昔よりはずっと視界が明るくなっている。

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最終更新日  2007年07月07日 09時43分01秒
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