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休日はいつも、牢獄の中にいるような気がする。こんな仕事をしていると曜日の感覚がなくなる。それでも、休日だけは特別で、朝目を覚ました瞬間から世間の空気が違うのを感じる。家の外には何か得体の知れないものがあって、よほどの決意をしなければ一歩たりとも踏み出すことができない。 休日だからといって、旅行にでも出かけるのでないかぎり、ふだんと違う生活をするわけではない。ふだんとまったく同じ仕事が待ち構えていて、ふだんと同じ時間が流れ、ふだんと同じだけ疲れる。それなのに世間だけがいつになく異様な佇まいで、ぼくたちが家の戸を開けるのを待っている。 たちまちぼくたちは、そこにただよっている空気の餌食になる。 休日はただの恐怖、ただの拘束、ただの苦痛なのだ。 祝日が増えると、日曜日が二度繰り返される。ということは、恐怖が二度繰り返されるということだ。 いいことは何もない。 今年また、詐欺に等しい祝日がぼくを襲った。 いったいどの政党が膿の日なる祝日を新たに作ることを公約に掲げ、どの政党がそれに反対の声を上げたのだろうか。寡聞にしてぼくは何も知らない。ぼくだけが政治音痴で知らないのなら仕方がないが、だれに聞いても明確な答えは返ってこない。 祝日を増えたことを喜ぶ人は多い。それ自体はおめでたいが、祝日が増えたことによって、自分たちより恵まれた人たちはその何倍もの恩恵を享受し、自分たちより恵まれない人たちは逆に苦しい状況に追い込まれる。それだけのことでしかない。 それが現実なのだ。 膿の日ができたことを喜べる人は、自分が日本のなかで恵まれた階層に属しているというだけのことで、膿の日ができたことが日本国民にとっていいことであるわけでは断じてない。 なかでも月曜祝日は弱者へのいじめ以外の何物でもない。 何らかの持病をかかえていて、月曜しか治療を受けれらない人がいる。もちろん火曜しか受けられない人も、水曜、木曜だけの人もいるが、今日のように月曜が必然的に祝日になる制度になれば、月曜しか治療を受けられない人は大きな打撃を受ける。 治療を受ける機会が削られたからといって保険料が割引になるわけではない。 非常に逆説的な言い方になるが、政権政党である自民党は自分たちの政権を維持するのに必死なのだから、そういうところに目がいかないのは、ある程度納得ができる。だが、ひとり自分たちだけが国民の味方だと言わんばかりの主張をする共産党がそういうことをまるでわかっていないのは許しがたい。 まあ、とりあえず、膿の日は生き延びた。 今後、次々に襲いかかる脅威をどうやって凌ごうか、今思案しているところである。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月17日 20時59分26秒
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