完璧主義のおかしさ
翻訳の勉強を始めるときに、専門書を最初から一字一句完璧に理解できないと気がすまない人がいる。 それが無意味なことは、球技を考えてみればすぐにわかる。 たとえば、バドミントンで、相手から来たシャトルを最初から全部取ろうと思う人がいるだろうか。 最初は取れるものだけを取っていくしかない。 あとは練習を積むうちに、取れる範囲が広くなる。 取れないものは取れなくても、どんな球が飛んでくるかを体感できればそれでよい。 バドミントンなのに、バレーボールみたいに回転レシーブをする人がいて、「回転レシーブくん」と揶揄されているが、専門書を最初から全部頭にたたきこもうなんてのは、まさにバドミントンで回転レシーブをするようなもの。ファイトは買うが、そういうのを匹夫の勇と言う。 翻訳で大切なことは、まずことばの使い方に慣れること、専門用語の「空気」に慣れること。 できるだけ早いうちに、ありとあらゆる表現に接して、その全体像をつかむことが大切だ。最初から完璧に理解しようとしたら、その作業に支障が生じる。 ことばに慣れようとして多読する人は必ず成功し、最初から意味を追う人はことごとく失敗している。 例外はない。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。