Noah's Ark ~Discovery
今も「ノアの方舟」を追い続けられている古くは、紀元前3世紀に、バビロニアの歴史家ベロッソスが書き残していた13世紀には、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で言及していた中世にはアララト山自体、神聖視されていたが、1840年の火山噴火により、付近一帯が壊滅状態となった(それ以降の噴火はない)1883年の火山性地震により、ノアの方舟の残骸らしき、古い木材建造物が一部露出するトルコ政府関係者が調査するも、内部が崩落する危険性があり、途中で断念その際に、欧米諸国にニュースが報じられる。詳しい年代は定かではないが(1880年~1910年頃であろうと推測される)アララト山周辺を勢力圏としていた帝政ロシアが大規模な捜索隊を編成し、ノアの箱舟の残骸を捜索かなりの成果を収めたらしいが、ロシア革命の混乱が原因で公表される前にその資料が遺失してしまったという1920年以降、様々なレベルで調査が、その都度行われている標高はおよそ、5,000メートル付近といわれている(その後、地震や氷河の融解によって、渓谷を滑り落ち、下に移動していったとする説もあった。またこの近辺は、冬期間は完全に氷河に閉ざされてしまう)戦後、米国の軍事衛星による撮影でCIA内部でも実在説を支持する勢力が増えたことがある1950年代の複数の調査によると、氷河に閉ざされていた影の長さは120~130mあったと報告されたまた、その数年後に調査したグループが、残骸から切り取ったとされる、ほぼ炭化しかけた化石と言ってもよいような木材を、数箇所の大学や研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、およそ、カイロ博物館では紀元前3000年~紀元前4000年、エジプト農務省では紀元前5000年、マドリード大学などいくつかの大学では紀元前2000年~紀元前3000年といった結果が出た一方で、カリフォルニア大学など、アメリカのいくつかの大学では、およそ1200年前~1400年前という結果が出たというその材質はオーク材。『聖書』の「ゴフェルの木」は、一般に「イトスギ」と訳されているが、実は「ホワイトオーク」であったとする科学的な見解もあるただし、この近辺1000km四方に、ホワイトオークは古来から存在しないため、証言どおりであるならば、明らかに、遠い過去の時点で、大量にその地帯に持ち込まれた、あるいは運び込まれた材質となります1959年には、トルコ空軍による報告が残されている1960年代に入ると、冷戦激化に伴い、旧ソビエト連邦と国境を接するこの地区には入ることが不可能となったしかし、駐トルコのアメリカ空軍によって、この船影らしき長方形の黒ずんだ物体が、何度も何度も確認されたという。これらは、アララト山北東斜面に集中しているといわれていますどんな年代でもありますが、元となる話があって、その話に基づいて再現しようとする人が多いでしょうそれを現代の人が発掘して騒いでしまう。でも「元となる話」の段階で実際にある話であればロマンチックですね