加古川合気会 15周年記念市民健康増進・体験特別稽古のお知らせ
おぎゃあと生まれ、この世に生を受けた時から、人間の「出会い」は始まります。物と出会い、人と出会い…あらゆるものとの出会いの中で、我々は生きているのです。その中で、特に強烈な印象を与えて人間を変えていくのが「師」との出会いです。「三年稽古するより、三年師を探せ」と言われるくらい、誰に教えを乞うかということは人生において非常に大事なことです。私の場合は三人の師がいます。まず哲人中村天風先生です。明治九年生まれ、近代日本の風雲児ともいうべき波乱の人生を歩まれた天風先生は、高齢になられても矍鑠(かくしゃく)とした雄姿で、剣をとっては随変流の達人、古武士然とした風格を備えた方でした。私が先生と出会ったのは、親しい友人の死に遭って「死とは何ぞや」と悩んでいた時期でした。本を貪り読み、禅宗の門を叩き、山に籠もり滝に打たれて荒行もしましたが、答えは出せません。そこで天風先生に「死とは何ですか」と疑問をぶつけたら、天風先生は「みんなが行くところだから、死んでから考えても遅くない」と泰然と答えられたのです。また「ここに死んだ人を連れてこい」とも言うのです。私が返事に窮していると「この世の中はみんな生きている人ばかり。人間は死ぬまでは生きているよ」と喝破されました。当たり前のことですが、その当たり前の真理に言われるまでは気づかなかったのです。まさに無明の闇から覚めた気分でした。頭で分かった悟りを、今度は体得しなければならないと叩いたのが合気道開祖の植芝盛平先生の門でした。凡下凡俗の私は、形や技の真似から神仏に近づく以外にないと思ったからです。植芝先生については「顔に惚れた」の一語に尽きます。無欲淡々として明鏡止水の如き先生のお姿は仙人のようでした。先生と対峙すると、なぜ投げられたか分からないのに、しかしあっという間に投げられているのです。講義では「合気は神さんから授かったものじゃ」とよくおっしゃっておられました。合気道は武道であって試合がありません。争って争わざるという日本精神の武道的表現の神髄を、私は先生に教えていただいたのです。そして、三人目の師が山蔭神道中興の祖、山蔭基央先生です。昭和四十七年の台湾訪問の時に知遇を得て以来、神の道、人の道について教えを受けています。師との出会いが私の心を目覚めさせ、生きがいある人生を歩ませてくれました。師の求めたものを私も求める、真の弟子でありたいと願い、感謝の心をもって日々の精進研鑽に努めているのです。--------------------------------------------------------------------以上は いい話の新聞 この人の話 (父の師匠の一人 佐々木 将人さん)師を探せ…師との出会いが大きく人生を変える からのぱくりです。私も20歳の頃、右耳が聴こえなくなり、今まで、完全と思っていた身体が不完全になった現状に落ち込み、投げやり状態の時、この先生の著人生山河ここにありを読んで、気持ちが前向きになりました。今思うとと小さなことでした。でも今は、その耳を治せない自分に悩んだりしてます。(難聴患者、耳鳴り患者が来ると申し訳ないです、でもよくなる時もあるのが不思議なもんですね)日時 9/18(日)13時~16時 場所 加古川市立武道館合気道本部道場師範 佐々木将人師範を招いて特別体験稽古を行います。参加費は無料です。合気道経験に関係なく、一般の方も体験できますので運動のできる服装(スカートは不可)でお気軽にお越し下さい。懇親会参加希望の方は3,000円~5,000円ぐらいご用意下さい。場所は加古川の贔屓屋だと思います。私は学校の学期末試験前ということと仕事もありますので、稽古も懇親会も参加できませんが、皆さんよろしく~。ということで、しばらくブログもお休みします。