TSUNAMI~失敗は伝わらない
"TSUNAMI" 失敗は伝わらない東北三陸海岸の大津波、明治29年、8mの津波が2万人以上の人々の命を奪いました。それから37年後の昭和8年にも同じ地を襲い、3,000人以上の命を奪いました。失敗は繰り返されました。津波を書いた石碑にはこう書いてあります。「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」生存者はわずか数人だったといいます。結局伝えたいことがあるのに伝わらず、同じことを繰り返さないために石碑が建てられています。こういう石碑はあちこちにありますが、その下には実際に人家がたくさん建っています。その理由は平野部が少なく山がちな地形で農業については漁業ぐらいしか生計の手段がないことがあります。生計を漁業で立てざるを得ず、石碑よりも上に家を建てると、海岸までの移動が大変だったという現実的な問題がありました。住んでいる人たちは津波が危ないということを知識として知っているのにもかかわらず、いつしか津波のことを考えないようにして日々の生活を送るようになっていきます。自分が生きているうちは来ないというような考えがあります。時間が過ぎていくうちに、人々は失敗に関心がなくなり、忘れていきます。無関心と傲慢さが増えていくことで、30年間で危なかったという感覚がほぼ消えてしまうといいます。--------------------------これは津波に限ったことではないかもしれない。100年に一度の災害、400年に一度の災害、1000年に一度の災害にどう備えるか。100年に一度なら自分が生きているうちに一度は経験するかもしれない。400年、1000年に一度だったらおそらく自分が生きているうちに経験しないで済むのではないか。日々の生活に追われる中で、平穏ボケが浸透していたのではないか。一方で、日ごろから防災訓練をしていた人々は高台にいち早く非難して、辛くも難を逃れた。たしかに、未曽有の大災害で、特に20m級の津波が地震後30分ほどで到達することはだれにも予想できなかったかもしれない。しかし、被害を最小限にとどめる手段はもっとあったのかもしれない。次は、首都圏か、東海か。対岸の火事ではいられない。これだけ一部の大都市に密集して、木造家屋が乱立している街に地震と津波がやってきたら。海岸沿いには埋め立て地が広がり、工業団地、住宅用超高層ビルが展開しています。都知事選では、防災や福祉をめぐる都市のあり方が争点の一つになりそうですが、埋め立て開発に住環境をどう整え、防災に強い街づくりを目指すのか、考えるときが来ていると思います。失敗は繰り返されたといわれないために。