人生棚卸小学時代
祖父や父が関心のあった地球に関するテレビの録画をよく一緒に見ていました。なかでも衝撃はNHKが1987年にシリーズで放送していた「地球大紀行」でした。当時の最新鋭の技術を駆使して,宇宙誕生から地球環境問題に至るさまざまな事象をデータで紹介するものでした。ここで,宇宙や地質などに関心をもつとともに,地球環境問題を強く意識するようになりました。1980年代後半の時点ですでにオゾンホールの拡大や氷床の融解など環境悪化の事実が明らかにされていました。それにもかかわらず,大人はこの問題を見て見ぬふりをして真剣に向き合っていないと感じました。今すぐにでも何とかしなければならないということを子どもながらに思っていました。将来希望する仕事について,父親に聞かれたときに「環境問題にかかわりたい」という漠然とした答えを返したことがあります。具体的にどんな仕事が環境問題に貢献しうるものか答えられない状態でした。父親からの返答は「お金になることをしなさい」というものでした。当時はこの返答には正直がっかりしました。親になった今から思えばしごく当然の価値観なのかもしれませんが,結局仕事をお金儲けの手段としてしか考えていないような発言と自分の価値観が真逆であると思いました。とにかく目的もなく問題を解くことが好きでした。その理由は公文で計算が得意になったことが大きいと思います。小学1年生の途中から始めた公文は3年生の終わりまで続けました。算数と国語を選んで,算数はEまで,国語はDの途中まで進んだと思います。それ以外に問題集を解くのは好きで,よく算数のドリルを買ってもらっていました。3年生の終わりに公文の先生から地元の有名な個人塾への入塾を勧められました。そのとき,父親から中学受験して中高一貫校へ通っていたことを聞いて,自分も同じ学校へ行くために通塾することに決めました。入塾試験がありましたが,無事小学4年生から週2回の通塾生活が始まりました。塾では進学校への中学受験を考える優秀な生徒ばかりが20数名集まっていました。塾では最初にテストが課されて,間に問題集などを解いて,最後にテストの採点結果が返されます。間違ったところがすべて修正できた人から帰宅が許可されます。採点結果は100点から順に先生と皆に向けて報告しなければいけませんでした。いい結果であればうれしいですが(たしか100点は鉛筆が一本もらえた),最下位だった時には恥ずかしい思いをすることになります。ダントツで最下位だったときには帰宅後に泣いたこともありました。つらかったのは塾での勉強だけでなく,大量の宿題でした。なかなか終わらないために,放課後はいつも勉強しなければならない状態だったように思います。小学6年生になると,日曜日も含め隔日で通塾していました。友人と遊ぶ時間が限られてつらい日々でした。でも,自分で決めたことなので途中であきらめたくないという気持ちがありました。この塾では記念受験で受験日程の早いハードルの低い中学校を受けることになっていました。結果として,受験した全員が合格でしたが,自分は合格基準点ぎりぎりの点数だったそうです。ここで不合格だったら,本命の受験の時までに気持ちの整理がついていたかどうかわかりません。本命でも無事に合格し,希望がかないました。ただ,塾嫌いが残ったので,どんなことがあっても塾に通わないことを心に誓いました。