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私は平安時代、陰陽師でした。これは事実というより一つの物語として解釈していただければ幸いです。
私は平安時代、幼いときに両親と離れ、「鬼の子」と呼ばれ、別に迫害されていたと思ってはいませんでしたが、実際にはあれこれと非難されたこともあったようです。 ただ、それを知らぬフリをしていることが私なりの処世術だったのでしょう。 当時のスピリチュアルというのは現代とあまり変わりませんでした。 つまり、誰かが「これは誰かの呪いだ」と陰陽師面した人が言えば、現代でも占い師の言うことを何もかも信じてしまう人がいるように、その呪いとやらを払うために陰陽師に大金を払ったり、頼り切ってしまう人もいたり、、、で、現代とあまり変わらなかったのですね。 その中でも清明さんは異質というか、ものが解っている方でした。 霊を調伏するためにはその霊の文化的背景を考えなければなりません。 例えば、生前、多くの人のために尽くしたにもかかわらず、理不尽な殺され方をした僧侶の霊がいるとします。 その僧侶は死後、怨霊になりました。 本来、仏教の教えでは恨み、憎しみの感情はあまり褒められたことではないとされます。 生前、高僧であったのに、何故、恨みを持つのか、、、? それは日本の文化的背景に「怨霊信仰」があるからなのですね。 つまり、人に尽くしても理不尽なことをされたら、死後、怨霊になる権利がある、とされていたのです。 これは菅原道真公や平将門公にも言えることです。 怨霊を恐れるからこそ、人は現世での悪事を慎もうという気持ちにもなり、それはそれで当時は戒めとして機能していたのでしょう。 しかし、清明さんが見ていたのはその先なのですね。 たとえ、文化的背景により発生した怨霊でも清明さんは成仏して欲しいと思っていたし、本来の気高い魂を善く行かせるようになって欲しいと思っていた。 だから、清明さんは漫画の陰陽師のように確かにいたずら好きなところはあったけれども誰より霊のことを考えていました。 霊を考えるとき、人はしばしば、生きている人間の立場だけから怖いとか恐ろしいと考えがちです。 でも、清明さんは霊の心に寄り添っていました。 これは言い換えれば霊に対する愛だと思います。 いま、清明さんはアセンデッドマスターの世界にいます。 鞍馬山のエネルギーである、サナトクマラは数十年前に金星に帰り、変わりにロードマイトレーヤが地球のマスターになりました。いわゆる弥勒の時代ですね。 そしてそれをサポートしているサブマスターの一人が清明さんです。 ちなみに、私は平安時代、清明さんに拾われて、陰陽師になれました。 変わった子供で、人が修行しなければ獲得しえない能力をすでに子供のころから使っていたようです。 私の心の闇を見抜いて、それを正しい方向に条件づけてくれました。 当時の名前は「神室(かむろ)」私が闇ではなく神の室(へや)になるようにと清明さんがつけてくれた名前です。 もうちょっと歳をとってからは別の名前で仕事をしていたような気もしますが、親しい人はずっと私を神室と呼んでいたような。。。 もう1200年前の話なので、かなり忘れています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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