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コペルニクスは地動説を唱えて処刑されました。
これは天文学的事実を確認する手段が当時は天体望遠鏡や計算どまりだったということがあるでしょう。 宇宙飛行によって地球が丸いということが確認されるまで、かたくなに天動説を信じていた人もいるかも知れませんね。 でも、心の天動説と地動説はどうでしょうか? 私たちはよく「誰々のせいでこうなった」「天気が悪いせいで気分が悪い」などと、 考えがちです。 それはある意味その通りなのかもしれません。 ただし、「人のせいにする生き方」を選んでいる限りにおいては、です。(ここは重要です) すこし立ち止まって考えていただきたいのです。 何かが流行っているからとか、何かを得なければ、或いは失ってしまったら、「私は不幸になる」と思っていたら・・・ それは社会が作った価値観に振り回されているので、いわば、精神的「天動説」です。 この、「社会的価値」には個人的なものに近いものも、よりグローバルなものも含みます。 すなわち、何かの流行ブランドを持っていなければ私は不幸、というのと、周囲の具体的な誰々さんに好かれなければ私は不幸、というのは同じです。その具体的な誰々さんはその人にとってのパーソナルブランドだからです。 ですから周囲の人に、どう思われるかは、その人にとっての大問題になることが多いのです。 例によって大いに自戒を込めて書いています。 誰かが自分を好いてくれたら幸せで、好いてくれなかったら不幸、というのでは自分の幸せが人任せになってしまいます。 これは今まで一年強にわたる私自身のポリシーである「人のせいにしない生き方」言い換えれば自分の幸せを人任せにしない生き方が問われているのでしょう。 今を生きるのは難しい。確かに。 現実問題として。 それでこのことから逃れるわけにもいきません。 これという人生から。 現実を作れるのは今というこのときにしかないから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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