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今流行のマイナスイオンなる言葉があります。いえ、もう流行ですらなく定着している言葉ですが。
言葉、と書いたのは科学的にはマイナスイオンなるものは恐らく陰イオンと言われているもの「らしい」と科学者は言っています。 家電製品を売りたい人たちがでっち上げた言葉を自称科学者が得々とテレビで語ったりするのが今の日本なんですね。地球温暖化理論も穴だらけ。 しかし科学者が見落としていることがあります。科学の世界では客観性と再現性が重視され、実は一方で客観性だけが重視される傾向があります。 客観性とは、ある実験において測定などの条件が厳密に別のファクターに影響されない状態である種の測定などをする際に必要な条件です。 しかし、客観性があっても測定不可能に近いものもあります。例えばニュートリノの観測条件が限りなく量子物理学の理論においては客観性があっても、素粒子加速器で未だニュートリノらしきものは測定できてもそれを特定できてはいないでいます。 一方「水はなんにもしらないよ」というアンチエセ科学本がありますが、例の水博士の本に一々反論しており、それなりに納得出来る部分は多いのですが、米を入れたガラス瓶2本に「ばかやろう」と「ありがとう」という言葉をかけて変化を見る実験では全国のアマチュア協力者において全て悪い言葉をかけた米のほうが痛みが早いという結果が出ているんですね。 もちろん、一部の実験者の瓶に細菌が混入していたとかいう可能性は否定しません。これは客観性の欠如です。しかし、再現性においてはどうでしょうか? 再現性とは「誰が実験しても一定の条件下なら同じ結果が出る」ということです。 でも、心理学も立派に科学ですが、例えば「怒りや悲しみを持っている人には常にこう接すれば良い」という客観性があるわけではありません。しかし、経験上再現性が高い無難な言葉が功を奏することも山ほどあります。 しかし無難な言葉が通用しない場合もあります。 鬱の人を励ましてはいけない、というのは今日では知られています。 しかし、言葉はかけなくても病者本人のそばで言葉少なに鬱陶しくない程度のに世話をしてくれる人がいればそれは無言の最も良い励ましになるでしょう。 励ますのがいけないのではなく励ましようが普通の人相手とは違うわけです。 話がそれたようですが、「鬱の人に対する独自の励ましマニュアル」でもあれば、それはある程度の効果があった励まし方、つまり客観性と再現性は70~80パーセントくらいは保証されているのでは? それと、治療薬の臨床治験では二重盲験法が使われますが、本物の薬であれプラセボであれ効くか効かないかは大量の被験者から採った平均的データを元にしているのでファーマティクスの世界も理論段階ではともかく治験段階では再現性しか問題ではないような気もします。 話を戻しますと瓶に入った米にかける言葉によってその傷み方が違うという結果が全ての実験協力者から得られたというのは、科学的に見て明らかに有意の差です。少なくとも心理学よりは。 エセ科学を批判するのは結構ですが、一つ、多数の実験者による再現性における有意の差という点について主流の科学者にも考えてほしいものです。 主流の科学にだって客観性すら怪しいものが山ほどあるのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月27日 04時24分23秒
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