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スピリチュアル官僚主義、という言葉は他の方へのレスでふと思いついた言葉ですが、言い得て妙な感じもするのでこれについて書いてみようと思います。
世の中には、というかスピ系の人には「浄化」とか「波動」にこだわる人が多いように見受けられます。 自分がやってる何かが浄化に、いい、悪い、或いは「これは浄化」だといちいちこだわる姿勢や、何事も「波動」にこだわる姿勢です。 勿論、浄化や波動というものはあります。 しかし、それにこだわるのは時として危険ではないでしょうか?疑似宗教のようになってしまうから、というだけではありません。 以前、何かと性的被害に遭いやすい女性が「自分の波動が低いからそういう目に遭うんですね。頑張って波動を上げます」と書いていましたが、果たしてそうでしょうか? 統計によると、およそ女性の五人に一人が男性から何らかの暴力的被害を受けています。 これは、その被害を受けている女性の波動が低いからでしょうか? 冗談じゃありません。確かに男女問わず波動の低い人、高い人はいるでしょうが、にもかかわらず暴力の被害に遭う人のほとんどは女性なんですよ。 これは、単なる性差別ではなく文化的構造的問題だと言う人もいますが、そういう側面があったとしても、暴力を振るわない男性もいくらでもいる以上、暴力は容認出来るものではありません。(そもそも性差別そのものが文化的構造的問題なのだからそういう言説は同じことを言い換えているに過ぎない) いま、ここで暴力の被害に遭っている女性がいるとしたら、「これは自分が引き寄せているのだ」などと考えず、しかるべき措置を執ってほしいです。 よく、人のせいにしてはいけない、と言いますが、それも常識の範囲内で話が済む場合だけです。 もし、ヒーラーが全ての病気を治せるなら医者はいらなくなりますが、実際には緊急外科手術を必要とする患者が必要としているのはICUやERの外科医です。 実際にDVを受けている人にとって必要なのは警察や弁護士です。 カウンセラーや探偵はそのささやかなサポートが出来るだけです。 最後は法が決めるでしょう。 したがってスピリチュアルで物事を決めるのは非常に危険です。それは心の支えにはなっても現実の助けにはなりません。 今現在暴力の中にいる人に言っておきたいのは、それが決して「自分が引き寄せていることではない」ということです。 世の中には信じられないほどの虐待を受け、それから立ち直ったというよりなんとか生き残って生きているサバイバーがいます。彼ら彼女らはある意味強いですが、再び帰る場所もない絶対的な孤独とともに生きています。もう、戻れない世界に行ってしまい、そこからなお信じられないほどの愛を発して生きている人すらいます。それは立派なことです。ただ、その人達も最初から望んでそうなったわけではない。 できるなら穏やかな幸せの中で愛し、愛され、そこそこに自分を満たし、他人も満たして生きて行きたかったでしょう。 私はというと、虐待こそ受けなかったものの傷は勲章。ただ、生傷ではなくかつてそうだったものが、今は傷跡だから勲章にしていられるのです。これは結果論です。 出来るなら傷を受けることは人生あり得ないとしても、深手でなかったらよかったと思いますよ。傷跡が誇りだとうそぶいてもそれは、痛みを通り越した後にも残る苦い思い出だから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月22日 21時21分58秒
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