カテゴリ:スピリチュアル
「格差社会論は嘘である」(増田悦佐)という本を読みましたが、正に精確、正鵠を射た議論で感心しました。
詳しく内容を説明すると長くなるので、興味があったら読んで欲しいのですが、とりわけ感心し、共感出来た部分は「マスコミや政治家、官僚がネガティブな情報を流しているせいで、日本の未来は暗い」と多くの人が感じている、ということです。 斉藤ひとりさんも「テレビがネガティブを普及させている」と言っています。 つまり、実際に今の世の中が不景気だとしましょう。それをマスコミが煽っているから、皆「今はどうすることも出来ない」という観念を植え付けられ、それで実際にますます不景気になる、という悪循環が起きるわけですね。 と、いってもテレビのすべてが悪いニュースばかり流しているわけではありません。 以前、行きつけの飲み屋でNHK特集の再放送を深夜見ましたが、南アフリカのことをやっていました。南アフリカは世界一治安も悪く、貧富の差もあり、殺人事件も多いです。 しかし、南アフリカの人達は「今は状況は悪いがそれは克服できる。今までもそうしてきた」 「トンネルは長いですがその先に光が見えます」と、言うことがポジティブです。 日本はどうでしょうか?テレビの街頭インタビューで答える大企業の役員クラスの人が「今は耐えるしかないですね」などと言っている。彼らは耐えるだけで「自分が現状を変えてやる」という気概がないのでしょうか? また、格差社会論はウソだと言う増田氏の主張には「日本人は世界一幸福への要求水準が高いから日本人の不幸感が高い」と指摘しています。 それはまさにその通りだと思います。 しかし、氏は「日本人の不幸は贅沢病だ」と批判しているわけではありません。 むしろ、要求水準が高いからこそ日本は世界一素晴らしい国になる潜在能力を秘めている、と考察しています。 これは単に物質的欲求が高いことではなく、文化の問題です。本来文化はお金や物質的豊かさがなければ成立しません。日本人は拝金主義なのではなく、文化主義です。文化にはお金がかかることを知っています。 何かの音楽雑誌でアメリカのミュージシャンが「アメリカ人は日本のメジャーバンドの名前すら知らないのに、日本人はアメリカの田舎町のインディーズバンドの名前すら知っている。この文化格差にはすさまじいものがある」と言っていました。 日本人の要求水準の高さは文化的貪欲さからきているものでしょう。 そもそも資本主義って娯楽産業なんですよ。 例えば、純然たる実用目的なら、せいぜい4,50万の中古車でも用は足りるわけです。 それなのに、300万、或いは500万を超える高級車をしかも新車で買うのは、娯楽に類することです。或いは、粗食なら健康によいものさえ食べていれば、お金もかからず、健康でいられるでしょう。しかし、多くの人はもっとお金をかけて美味しいものを食べようとしています。 高級マンションに住みたいだとか、広い家に住みたいだとかも娯楽に類することですね。 しかし、それを私は否定するつもりはありません。物質至上主義がいけないのであって、物質的豊かさを求めることは悪いことではありません。 ただ、娯楽産業に属する資本主義を実態経済だと思って、それを維持するために多くの人が、そこから得られる豊かさすら犠牲にしているのは本末転倒だと思います。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月29日 18時41分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[スピリチュアル] カテゴリの最新記事
|
|