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まず己を治め、家を治め、しかるのちに国を治めるべし、というようなことを孔子は書いています。
まったくその通りだと思います。 でもそれを完璧に行える人間がいるでしょうか? 自分も治められない人間が人様にセッションの仕事をするなんて、と思いそれから離れていってしまえばますます己を治められなくなってしまいますよね。 ただ、孔子だけは本当に己を治めていたんだろうな、と思います。 論語にあるエピソードに、孔子の弟子が口では大きいことを言っておきながら、実際には居眠りをしていた。人は口で言うことと実際の行動が違うこともあるらしい。これからは気をつけよう、って。 ある意味怖いですよね。それに言行不一致はどうしても普通の人ならしてしまうのに、それに気がつかなかった孔子もかなり天然さん。 でも、孔子はその分、完全に言行一致していた人なのだと思います。だからこそ言行不一致な人に驚いた。実際にパーフェクトに言行一致している人は滅多にいません。 だからこそ孔子は世界三大聖人の一人なのでしょう。 君子危うきに近寄らず、といいますが、私は君子は危ういので近寄りたくない(笑) それに私は危うきを好む性質もある。 怪力乱神を語ることもある。 孔子が唯一解らなかったことがあるとすれば人はそれぞれに学びのテーマがあるということでしょう。 君子もそれなりに大変だったとは思います。 当時の中国ではインテリ階級は皇帝にさえ物申すことはできたけれど、政策立案において失敗すれば死罪が待っていました。 それに論語を読めば解りますが、孔子はそれなりに人を正当に評価している。 ここはよくないが、ここはいい、とちゃんと評価しています。 それに、今君子になれないからといって人はやはり君子、というと大げさですが人格者を目指すべきではないでしょうか? 昔の私はエゴの塊のような人間でした。攻撃的であることを身を守る武器として、それは、そのときはそれしか生きる手段が見つからなかったからで・・ ここに書いていても私は何も自分をスピリチュアルな人間だと自称するつもりもない。 かつて全てを憎んで生きていたような自分が偉そうなことを言うのも片腹痛い。 その点、最初からおだやかに、なおかつ人の為を思って生きていきたような人は若い人にもおり、恥ずかしいくらいですよ。 ただ、人間、改心というのはあります。 昔は改心というのはありえないと思っていましたが、今ではあると思います。 心を正して生きようと、今までの自分とは違う自分で生きようとしたのはもう何年前でしょうか。 そのプロセスでもまあ、色々ありましたけどね。 でも改心するまえの自分が生きるために身につけたスキルまで捨ててしまっていた時期もあります。 もう忘れたかったから。過去の自分をなかったことにして。 しかし、そうは問屋が卸さない。 結局しばらくの間戦うことに疲れていたのかな。 以前にもちょっと書いたけど、今段々、戦線復帰しています。今は殺すためでなく活かすため。 それでも近いうちにキルゾーンには入るでしょう。今はまだグリーンゾーンだけど。 大体今、私はブルーバッジャーではない。グリーンバッジャーだ。 そう思っていたい。コントラクターではあってもセルフエンプロヤーではある。 コントラクターとして生きて行くには個人事業主であることだ。 クライアントは将来的には色々だが、今のところは自分で見つけるしかない。 だから、ブログで人集めをしている。 私の本質は傭兵だ。傭兵は仕事はありませんかとは言わない。御用聞きではないからだ。 自分が必要であることをクライアントにアピールするし証明する。 こっちも甘いことは言わない。だから今日も明日もその先も自分を証明していこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年01月15日 06時10分23秒
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