テーマ:暮らしを楽しむ(388246)
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吉本ばななさんの新刊、「もしもし下北沢」読みました。最近行っていない街なのですが、美味しい店がいっぱいある街でもっと攻略したいです。
この作品、西荻に住んでいる自分にはすごく共感できます。詳しい内容は省きますが、主人公の女性は辛い思いを経験して、下北沢に引っ越して暮らしています。 ここまでならどこにでもある設定です。でもそこからが違う。 結局、主人公の女性は辛いときを何かドラマチックなありえないような出来事によって乗り切るのではなく、日常で乗り越えようとするプロセスにあります。 主人公とその母親は辛く、重い気持ちを持ったまま食欲もないとき、下北沢のレストラン「レ・リヤン」にたまたま入ります。そこで麦の入ったサラダを食べ、「これなら食べられるね」といいます。 その後主人公の女性、よっちゃんはそのレ・リヤンで働き始めます。そこでよっちゃんは自分がここで働いているからにはここの料理と自分をセットでお客さんはこの店にくるんだ、瀬金重大だ、と思います。 作品には書いてありませんが、おそらくよっちゃんの連想はこう続くかもしれません。 「ここで私が出した料理がまた別のお客さんに生きている実感を与えることもあるだろう。そのお客さんがまたどこかの店にでも勤めればそこのお客さんに生きている実感を与えることもあるかも知れない。そのまたお客さんも・・」と。 この作品は個人の力がどれだけ人に影響を与えうるか・・ということが一つのテーマになっています。 現代社会では政治や経済、大企業や一部の勝ち組と言われているお金もあり有名な人たちだけが人に大きい影響を与えられると思いがちです。そして自分には何の社会的影響力もないと。 でも、実際には違います。皆さんは誰から普段大きい影響を受けていますか? 有名な人や大きい影響力を持つ存在からの影響も勿論あるでしょう。 例えば、ここに外国の有名アーティストに影響を受けてビッグなミュージシャンになろうとしている人がいるとします。最初の影響はビッグスターから受けたと言えます。 しかし、その人が実際にビッグになるプロセスで実際に影響を受けるのはスターになるプロセスで出会った先輩アーティストであり、ライブハウスの人だったり、エンジニアの人だったりファンの人たちだったりするでしょう。 日常的な影響のほうが本来はその人に大きい影響をあたえるわけです。 そうなると何をやっていても人間、自分も人に影響していると思えば責任は大きいのです。 私もこれからもっと自分のささやかだけれど時には大きいかもしれない影響について考えてみようと思います。 自分の言った一言が将来有望な人の芽を摘み取ってしまったら・・ひょっとして世界的損害にもなりうるのです。 多くの人は自分を小さい人間だと思って生きています。別に世間一般的な大きい人間になる必要はありませんが、それでも自分の存在は他者にとっては時として大きい、そのことを実感させてくれる作品でした。 ちなみにこの作品に出てくる飲食店などは全て下北沢に実在しています。 と、いうかレ・リヤンに関しては実在していました。作品にもレ・リヤンの最後の日々を主人公が過ごす話が出てきます。 店長や作品ではみちよさんとなっていますが、実際のレ・リヤンの店長兼料理長だった人はみちこさんと言います。 今では別の新しいお店、オー・ペシェ・グルマン を幡ヶ谷でやっていらしゃいます。 今度食べに行きます。ミーハー的な動機ではなく食べることが好きなのと料理が好きなので、作品のよっちゃんを惚れ込ませた料理がどんなものか是非味わってみたいです。 皆さんも作品を読んで興味を持ったら是非行ってみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月12日 01時08分54秒
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