南三陸町の現状!
南三陸町の防災庁舎は津波で骨組みだけになっています6月24日(日)宮城県南三陸町福興市支援バスツアー仙台からバスで1時間40分南三陸町に到着しました当初、この防災庁舎に災害対策本部が置かれました役場職員の遠藤未希さん(25)が「津波が来ます 早く避難してください」この庁舎の2階の無線室から防災無線で何度も叫び続けましたしかし、津波はこの庁舎にも容赦なく押し寄せました中に居た、41名の役場職員が波に流され、尊い命を失いました遠藤さんも帰らぬ人になりました震災当時の写真です佐藤町長ほか、職員10名ほどはアンテナにしがみつくなどして翌日、屋上で奇跡的に救出されました当時、人口17000人の南三陸町一時は、一万人の行方がわからなかった死者、行方不明者を合わせ現在でも、約1000人を数えます街は壊滅的被害です公立志津川病院など鉄筋の建物がポツンポツンと残っておりますが内部の被害が甚大で近々取り壊しです瓦礫も積まれた箇所もありますがだいぶ片付けられています現在、町の機能は、高台にあるシーサイドアリーナ周辺に移転今回の福興市(ふっこういち)もこのシーサイドアリーナで、行われました深刻な被害をもたらした東日本大震災から1年3ヶ月経過住民の皆さんは、ふっきれたような笑顔で我々を温かく迎えてくれました山林にまで津波は押し寄せ、塩害で枯れていますタコの唐揚げの試食東の志津川、西の明石といわれるほどタコが有名南三陸さんさん商店街は、プレハブ営業当時の恐怖の体験を、町民が語ってくれました