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カテゴリ:つれづれ
お稽古で、実家がえり。
いつもはタイミングが合えば姉弟子に車で連れて行ってもらうのですが、今回は、行きは一人で、しかも、家に電話しても、誰もいないので、くるっと東京湾を半周して電車で帰りました。 直通だったら、電車に乗っている時間は2時間。 寒い日だったのに、電車の中は冷房が入っていて、こ、これはいかん、風邪をひく!と危機感に迫られましたが、持っていたストールでぐるぐる巻きにして、グウグウ寝ていたら、どうにか大丈夫だった模様です。 さて、早めに着いて、家にはだれもいないし、じゃあ、ちょっと郵便局へ行こうと歩いて10分ほどのところにある、郵便局へ。 実家から郵便局への道のりは住宅街を通り抜けていくのですが、これがまた広大な住宅地でして。 当時、山を切り崩したところに一戸建てが次々に建てられました。 だいたい我が家の周りは、土地60坪、建坪30坪くらいの一戸建てが出来上がり、私は小学校三年生の時に、ここへ引っ越してきたわけです。 周りは、空き地だらけ。 建売なので、一塊りに、がががっと家ができるので、ぽつぽつ空いている感はないのですが、 その一帯の周りが全部空き地。 遊び場所には苦労しなかったし、犬や猫、ニワトリ、うさぎの散歩には事欠かないいい土地でした。 それもつかの間、すぐに、すべての空地に同じように戸建てが並び始め、○○駅前という珍しい住所がついた土地が1丁目から確か8丁目まで出来上がりました。 でも、それも今や、20数年前の話。 当時の新興住宅は確実に20年経ち、土地の広さを利用して、建て増したり、きれいにタイル張りにしたりして建て替える家も多く見受けられますが、そのまま建物がどんどん老朽化するにまかせて古ぼけた印象の家や、住んでいない家もちらほらあったり。草がぼうぼうで、なんだか怪しい家も。 20年前は確実に多かった子供の数も、きっと減っているでしょうね。 いま、当時の子たちはお母さん世代。同じ土地に住んでいるとも限らない。 昼間道を歩いても、子供に会わないんですよね。遊んでいないのか、ほんとうにいないのか。 きれいな病院ができたり、ダイエーができたりして、住むには不自由のないところですが、今一つ寂しい感がぬぐえないのはなぜなんでしょう。 今一番のショックは、「としまや」が確実に店舗縮小をしていること。 「としまや」は、袖ヶ浦を拠点に千葉県下に広がるお弁当屋さんチェーンで、特に私の住んでいたところは海岸沿いに工場が多い土地なので、旅館と「としまや」の多さは、一種の土地の特色?くらいの感がありました。 オレンジの屋根に、緑のカバのマーク、あまりお弁当を買いに行ったことはないのですが、確か姉の同級生に、としまやの娘さんがいたということもあり、広く事業をしてらっしゃる家の娘さんなんて、すごいなあと子供心に思っていたものです。 郵便局へ行く道のりにも、「としまや」の店舗があったのですが、びっくりしたことに、セブンイレブンの駐車場になっていました…(隣にセブンイレブンができたので) ちょっとショック・・・ 今やコンビニのお弁当もおいしいらしいし、HOTMOTが頑張っているし、土地に根付いたお弁当屋さんは経営が大変なんでしょうね。 でも、地域の活性化にはやっぱり、全国チェーン店の活躍よりも、地域に住んでいる人が営んでいる商店が元気であることが一番だと思うのです。 なんか、病院ばかり大きくなって、あと、携帯電話屋さんばっかりたくさんできて、一見栄えているようで、なんだかさみしいなあ。 そんなことを思いながら郵便局へのみちのりをとぼとぼ歩いたのでした。 実家に着いたら、母が帰って来ていて、お稽古までのほんのひと時、テレビを見ながら過ごしました。 「母さん、栗、好きなのよね~」といいながら、母は包丁で栗を剥いていました。 「ご飯食べてからお稽古に行く」というと、すぐに、スープと煮物を出してくれました。 ・・・街が変わっても、家族の風景が変わっていなくて、良かった! 帰りがけに、実家から、一房バナナをせしめてきた、娘でした(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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