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数年のもやもやした時を経て、ようやく良い運気の流れを掴んだような気がする。
有難いことの連続である。 先日締め切りギリギリに送った書道展の作品が、特選を受賞したという通知をいただいた。 ギリギリだけど、発送を諦めなくて良かった。 愛犬は、注射のお蔭で元気だが、右目は白内障を発症し失明している。 左目はまだ健在だが、夜になると見えにくい様子。 嗅覚があるので、目が見えにくくなってもさほど不自由はしないといわれたが、見えないストレスで怒りやすくなってる。 それでも無邪気に元気だから良いかと思っている。 職場では、横柄だった女子社員が改心したようだ。社長との電話の対応がまずかったらしい。本人は自覚してないけれど、とても横柄に聞こえる話し方をする。そこが欠点だと彼女が入社時に指摘して注意を促したが、それは私の意地悪な視点のように取られ、専務に告げ口をして彼女を気に入って入社させた専務に一方的に睨まれ、一切関わるなと言われしかとされた屈辱があった。(数年前ブログに書いたことがあった件。私だけ飲み会に誘われなかった) かつては、同じ価格ならうちの社員の対応が良いのでうちで購入されたというお客様が多かったのに、最近になって評判が悪くそれが社長の耳に入ることが続いていたらしく、社員の心構えの注意が社長から直接あったばかりだった。 朝礼でその話があって、私はガッツポーズした。 逆転したのだ。 あの頃は私の天中殺期で、何を言ってもしても、悪く取られた。 それが、今になって好転している。 私は、自分の感じたことが世間と同じ温度だという事がわかっただけで十分だった。 ↑の女子社員は、本当に扱いにくい子で、「ほめてもらわなきゃ動きません」を人間にしたような子だった。私からの視点。 それでも、この数年の間に色んな経験失敗があったんだろうと感じる部分ある。 なぜ私と距離感をもとうとしたのかも、なんとなくわかり始めた。年配の女性が苦手。もしくは、厳しいことを言う人は、自分を嫌ってるからだと思うようなタイプなんだろうと感じた。彼女からの視点で考えてみた場合。 言葉を選びながら、言う必要がある人だろうと理解した。 例えばある営業マンが、彼女に「笑った顔がいいわ~!君の笑った顔が好きや~」って煽てた。煽てだと思ったが、確かにそうだった。彼女は美人なので、笑うととても可愛い。 これか!と思った。 機転が利くが、ミスが多い。 そのミスを素直に謝れるように導いてみようかと、試している。 ヘアスタイル一つも、社風にあったスタイルにしてきたときに誉めてみた。 お茶の淹れ方も、彼女のふとした心がけを誉めてみた。 この数日、丁寧に仕事をするようになった。 彼女も社長に直接叱られ、崖っぷちだったから一所懸命なんだ。 一所懸命な子には、こちらもエールを送ってやりたくなる。 そんなこんなで 今はとても良い流れ。 あの時にどちらかがやめていたら、こんな時は得られなかった。 人生はすべてが「人間関係」の在り方に左右される。 私は、三浦綾子の「母」の一節 「キリスト教の人達は、みな優しい。ただただ優しいんだ。優しい人ばかりなんだ」 とあった。この小説は、拷問を受けて死んだ小林多喜二の最期の姿と磔にされたイエスキリストの最期を重ね合わせた処が焦点なのだが、私はとってつけたソコよりも、母の↑言葉にどきりとした。 なるだけ 「優しさ」を与えられるように務めたいと思う。 それを続けることで、自分が優しさに満たされることを日々実感している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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