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■欲求の元
表面的な欲求(~がほしい、~がすき、~したいなど)には 基本的に「元(もと)」があります。 例えば、お昼に何かを食べたいというとき、 最初の「元」は、「お腹が空いた」でしょうね。 その「お腹が空いた」が変化していって最終的に 「~を食べる」ということを決定します。 面白いのが、最初の元の欲求(衝動)が 最終的に決めたことに張り付くことです。 つまり、お腹が空いたと同じくらい、 ~を食べたいと思うということです。 このときだいたい、最初の衝動の元が何だったかは忘れます。 この「元」と「最終決定、欲求」をつないでいるのが、 「思考」です。 この思考が練り上げられた状態だと、衝動から最終決定までが あっというまで自動的なように感じます。 ここに人のパーソナリティーがあるんだなと感じます。 もとの衝動は多分あんまり、人によって違いは出にくいものだと思います。 しかし、その過程=思考が違うので結果は千差万別です。 この元から、最終的な決定までの過程をつぶさに見ていると面白いです。 逆に、最終的な気分などから元を探っていくと意外なことを発見できます。 自分が、どんな思考をしているかがわかります。 そのとき、過去の感情を沢山それにかぶせてくるのでその様子が妙で面白いです。 その人の大切にしているものっていうのはここに出ます。 この思考回路の違いこそが個別性に大きく関わってきます。 (思考回路といっても感情が結びついているものも含んでの総体です。) 年をとってくると、思考と感情の結びつきが多くなり、また思考の簡略化による思考の自動化 が沢山おこってくるので、いらないものを沢山抱えてきます。 コンピューターでいえばバグが多くなって、ウイルスなどに犯されやすく、 全体的に使いにくくなったり、機能不全を起こしやすくなったりするみたいです。 このバグは自分自身の思考なので、これを処理できるウイルスバスターも自分です。 そのウイルスバスターが、「元」と「最終決定、欲求」をつなぐ 思考をつぶさに見るという行為になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月27日 10時15分23秒
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