|
カテゴリ:ブラームスの日々
今日,僕が長い間温めてきたプランをオープンにして,上司に説明を試みた。
いつも暇そうに見える僕だって水面下では仕事を進めてきたのだ。 午前中,主任にはすんなりと理解をいだだき,有益なアドバイスを貰うことができた。 午後,係長に説明したが,百万言の言葉を尽くしたにもかかわらず,その都度その都度 「つまり・・・お前が言いたいのはこういうこと?」 おいおい,いきなりそこへ飛ぶのか。 というてんで検討違いなリアクションが返ってきた。 「いやそうじゃなくて。」 と何度も頑張ってみたが,いくら説明したところでうちの名物係長ののっぺりとした顔は相変わらず無反応で(いつものことだ)それこそ壁に向かって喋っているみたい,いや,「言葉吸込み装置」に言葉を吸い取られているみたいで,だんだん自分がすごくつまらなくて無益なことをしている気分になってきた。こんな人に対する説明に不毛な時間と労力を費やしているかと思うと,僕の長い間温めてきたプランもこの程度のことか,と思えてきてしまう。 「いやだからそうじゃなくて!」 いくら説明しても係長の理解は前に進まず,後斜め方向的なリアクション(例えるなら,むかし夜店で売ってた蛙のおもちゃみたいな飛び方)しか返ってこないので,「これはちょっと回り道かもしれないがこの人の理解にあわせて斜め後方向から進んでみよう」と作戦変更したのが運の尽きだった。 あっちこっち話が飛んで全然どこにも進まない。 1時間の予定がもう3時間かかってる。 もういいや,好きにしろ。 ここまでやってわかってくれないのはあんたが頭が悪いか俺が頭が悪いかどっちかだ。 どうせいつものパターンで俺が悪いと言いたいんだろう。 もういいや,好きにしろ。 あとはお得意の「整理」という名のお伽噺を自分で考えてくれ。 と半ば諦めたところで, 「うん,だいたいの問題意識はわかった。明日補佐へ説明して。」 へ? 「問題意識」の話をしたんじゃなかったんだけど。 俺にはあんたがたどり着いたその「問題意識」とやらがわからん。 あんたのおかげで今日俺は補佐説明までたどり着けなかったんだけど。 前々から何かにつけてそうなんだけど,部分から全体を想像することができない人というか,想像することを拒否した人なんだな,と思う。 原局さんの説明(一応官房だから)のときもそうなんだけど,説明にちょっとでも隙があるとそこを突っ込んで穿り回して全体を潰してしまうことに無上の喜びを感じるタイプで,査定官庁ならいざしらず,官房がそこまで原局つぶししちゃっていいのかな,と毎回ハラハラさせられる。 きれいな説明とスジの通った話が大好き。 「整理」という名の絵本的お伽噺が大好き。 コジツケとゴマカシも大好き。 全部人から説明されないと理解できない,理解しようとしない。 自ら創造することなんて到底できなくて,人のすることにケチをつけることしかできない。 人としては憐れではあるが,部下としてはたまったものじゃない。 世の中なんでもそうそうきれいな話ばかりじゃないんだぜ,でもその中でなんとかしよう,していこうってーのが行政なんじゃないの?というのが僕のスタンスなんだけど,どうもこのスタンスはうちの名物係長にはウケが悪いみたいだ。 「うん,だいたいの問題意識はわかった。明日補佐へ説明して。」 ですか,ふう・・・。 見るに見かねて途中から同じ打ち合わせテーブルに座ってきた主任に 「だいたいの理解は得られたということでしょうか?」 と小さい声で聞いてみたが, 「うーん,難しそうですね。あの調子じゃ。」 と渋い声が返ってきた。 主任もまだうちのシマは一年目だから係長には遠慮があるみたいで,僕みたいに 「えーっと,そこまだわかりませんか?」 「まあ,そういう理解をされたいのであればそういう理解でもかまいません。」 「時間がもったいないのであとで読んで理解してください。」 「そこでブレーキかけないでください。次に行ってもいいですか。」 なんてことは言わない。 傍から見たら,かなり険悪な打ち合わせに見えたはず・・・ちょっと反省。 話通じなくてイライラしていたとはいえ,ちょっと声が大きくなりすぎた。 しかし,僕の説明ペーパーを見て 「ここでこういう表現を使う趣旨は?」 「この意味するところは?」 「この話はどこまでの範囲に掛かっているの?」 「この定義は定義とは言えないんじゃない?」 「この文言の・・・」 とやられたのにはまいった。 「あの,それは法制局審査がまだなので(←毒)表現の不十分なところは今から説明します。」 箇条書きに毛が生えた程度の説明ぺーパーにまで法制的な切り口でいちゃもんつけられたのではかなわん。 あと,捨て台詞が素敵で, 「明日の補佐説明の前にこのプランのタイムスケジュールのポンチ絵(説明図)を作っといてくれ。」 と来たもんだ。 「あの,こんな単純なタイムスケジュール,ポンチ絵にする必要があるんですか。それもとあなた,なんでもポンチ絵がないと理解できないんですか。こんな単純な話をポンチ絵にすることの方が難しいと思うんですが。」 と言いたいところを必死でこらえて,残業して作りましたよ,オーダーどおり,くだらんポンチ絵。 2・3年前,養老孟司の「バカの壁」という妙な本がベストセラーになったことを思い出した。 この本の結論は,「人は自分の理解したいこと,理解できることしか聞かない,聞けない。人は自分の理解したくないこと,理解できないことは聞かない,聞けない。「話せばわかる」は幻想にすぎない。「バカの壁」は諸悪の根源だ。」ということだったと記憶しているが(ずいぶん主題と関係ない話題で厚みを稼いでた本だったという印象しかないが,たしかこんなんだったと思う),この「バカの壁」,実際自分の身で体験すると確かに切実な問題である。 理解できないのならしょうがないが,行政マンたるもの理解しようとすることを拒否しないでほしいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年10月19日 00時41分15秒
コメント(0) | コメントを書く |