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テーマ:好きなクラシック(2324)
カテゴリ:モーツアルト
まあだからというわけでもないのだが,僕はいつも 「なるようになるさ」 「今日できなくても明日がある。明日が駄目なら明後日がある」 の精神である。 一種の「逃げ」かもしれないが, あんまり頑張りすぎておかしくなるよりは, ちょっとくらいズルをして, 適度に力を抜いて生きていってもいいんじゃないかな,と思う。 僕はもともと怠け者なので,そんな安全弁は必要ないかもしれないが, それでもいっぱいイッパイになりそうなときは, このモーツアルトのピアノ協奏曲第20番の第2楽章を聴いている。 20番といえば,24番とならぶモーツアルトの短調の傑作である(彼のピアノコンチェルトでの短調作品はこの2曲しかない)。 第1楽章はニ短調で,追い詰められ切羽詰った人間の固くこわばった表情だが, 第2楽章は変ロ長調に転じ,柔和な表情に一変する。 「お前はよく頑張った。よくやった。それでいいんだ。もう十分だ。ゆっくり休みなさい。」 という父母や友だちのあたたかい声のようでもあり, 神の懐に抱かれるようでもある。 ひとことで言ってしまえば「癒し」,いや「許し」の音楽である。 曲は,ピアノの緩やかなソロ・フレーズから始まり,続いてオーケストラが同じ主題によりやさしく包み込む。 それが静かに,神が頷くように,ゆるやかに反復されていく。 中間部では急にト短調に転じて,激しい表現になるが,第1楽章ほど傷付いてはいない。 癒され許されつつも「本当にこれでいいだろうか!?」と後を振り返るような感じ。 それが過ぎると,やさしいピアノ・ソロがもう一度戻ってくる。 「よいよい,それでよいのだ」 と。 オーケストラがそれに賛同する。 この楽章は,むかし映画「アマデウス」のラストで大変効果的に使われました。 大いなる肯定の音楽です。 このCDは,ピーター・ゼルキンのお父さん,ルドルフ・ゼルキンのもの。 若いアバドとの競演。 自然で余裕のある表情が味わい深いです。 安心して聴けます。 カップリングの21番もやさしく優雅な表情で素敵です。 みなさん今年もお疲れ様でした。 今年もいろいろあったかもしれませんが, それでよいのではないのですか。 師走の慌しい時期ですが,今年も後少しです。 もう一息,もうちょっとだけ,がんばってみましょう。 私ももう一息,もうちょっとだけ,がんばってみます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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