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テーマ:お勧めの本(7394)
カテゴリ:ブラームスの本棚
仲由,字を子路。
子路と孔子のとの出会いは,彼が孔子を辱めようと問答を挑んだことから始まる。 孔子の教えにひれ伏しその徒となったあとも,彼は何度となく孔子に問答を挑み,その師から何度となくたしなめられている。 他の弟子たちは,わかったような,わからないような,そんな態度で孔子の教えを黙って聞いている。 それが子路には物足りない。 俺が惚れこみこれと決めた先生の教えはそんな訳のわからない胡散臭いものではない,もっと真実があるはずだ,と。 「先生も先生だ,わかっているくせに,ときに建前だけで取り繕おうとする。 他の弟子たちはそれでいいかもしれないが,俺はそれでは納得いかない。 あらゆる苦難に耐え諸国を放浪し続けるのはなんのためか? 俺は俺の生きる道を見つけるために生きているのだ。 先生は,どうも穏健にすぎる。 真実とはもっと鋭くて激しいものではないのか? 先生はそのことについてどのようにお考えなのだろうか。 先生の教えとは,ただ単なる立身出世のための処世術なのか? いや,俺は先生の説く教えはその程度のものだとはどうしても思えないのだ。」 子路は苛烈なまでに純粋な弟子である。 そんな子路も,齢50を越したとき,衛の国の孔家の宰として迎えられ,これに仕えた。 孔子の推薦によるものだった。 困った質問ばかりして何度も先生を困らせたやんちゃな弟子も,さすがに人格的重みが加わり,有能な政治家たるに十分な資質を備えるようにいたっていた。 あるとき,孔子は子路の治める土地を通りがかった。 領内に入ったとき, 「善いかな,由や,恭敬にして信なり」と言った。 進んで邑に入ったとき。 「善いかな,由や,忠信にして寛なり」と言った。 いよいよ子路の邸に入るに及んで, 「善いかな,由や,明察にして断なり」と言った。 周囲の弟子たちがいぶかしむほど,孔子は子路が立派な政治家となったことを喜んだ。 ほどなく,衛の国の孔家に乱が起こった。 乱とは,いわゆるクーデターである。 子路の仕える主人が捕らえられ脅されていた。 それを聞いた子路はおっとり刀で公宮へ駆けつける。 昔は剛勇でならした子路である。 子の教えにはいまだ遠いとはいえ,腕っ節には自信があった。 入ってはいけない! という同僚の制止も聞かず, 「難を逃れ節を変ずるような,俺はそんな人間じゃない。その禄を利した以上は,その患を救わねばならぬのだ。開けろ!開けろ!」 と怒鳴り,中へ飛び込んだ。 騒然とする宮内に対し,子路は堂々と台上の簒奪者の非を唱え,わが主君の正当性を主張し,正義を説く。 群集の心理は子路に傾いた。 簒奪者は子路を懼れて二人の剣士に命じて子路を討たしめようとした。 子路は二人を相手に激しく斬り結ぶ。 往年の勇者子路も,しかし,年には勝てぬ。 次第に疲労が加わり,呼吸が乱れる。 子路の旗色の悪いのを見た群集は,このときようやく旗幟を明らかにした。 罵声が子路に向かって飛び,無数の石や棒が子路の身体に当たった。 敵の矛先が頬を掠めたとき,冠の紐が切れ,冠が落ちかかった。 左手でそれを支えようとした刹那,もう一人の敵の剣が肩先に食い込んだ。 子路は倒れつつも,冠を正しく頭につけて紐を結んだ。 敵の刃の下で,真っ赤に血を浴びた子路は,最後の力を振り絞ってこう絶叫する。 「見よ!君子は,冠を正しゅうして,死ぬものだぞ!」 全身を膾のように切り刻まれて,子路は死んだ。 子路にとっては,たとえそれが冠のことであっても,孔子の教えがすべてだった。 子路は,苛烈なまでに孔子の教えを忠実に守り,そして死んだ。 自ら君子たらんとして,その矜持を守り,それがゆれに死んだ。 激しい思いゆえに,絶えずその師に,その教えに反発した。 「俺の反論くらいで,先生の教えが揺らごうはずがない。」 当の本人にはその自覚がなかったかもしれないが,子路の心の中には,そういう安心感とある種甘ったれた依存心があったのではないか。 子路ほど,孔子を愛した弟子はいなかった。 そして孔子は,子路のことを一番よく理解していた。 衛の国に乱が起こった,という報に接したとき, 「柴や,それ帰らん。由や死なん。」 と言った。 のちにその予言どおりの子路の訃報に接したとき,孔子は直立瞑目して潸然として涙を流した。子路の屍が塩漬けにされたと聞くや,家中の塩漬け類をすべて捨てさせ,以後塩漬けは一切食膳に上げさせなかった。 子路の苛烈な純粋さは,その死から二千年経た今もなお,眩しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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