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テーマ:好きなクラシック(2316)
カテゴリ:マーラー
マーラーの第4交響曲が聴きたくなるなんて,精神が安定している証拠だ。 第6,第7,第9あたりを連続して聴くようになったら,ちょっとやばいけど。 さて,第4。 『大いなる喜びへの賛歌』 というサブ・タイトルが付けられる場合がありますが,それは作曲家のあずかり知らぬことです。 とにかく,そのような名前が似つかわしいような「ご立派」で「道徳的」で「ハ長調的な」交響曲ではありません。(ちなみに,ほのぼのノーテンキなト長調です。) 終楽章の歌詞からして,下品であけすけ。残酷で独善的。 「われらは天上の喜びを味わう。だから地上のことは避けるのだ」 「ヨハネは子羊を殺し,屠殺者ヘロデは待ち受ける。われらは寛容で純粋な愛らしき子羊を死に導く」 「聖ルカは牛をためらいなく殺す」 「天上の酒蔵では酒は1へラーもかからない」 「われらの音楽と比べられるものは地上にはないのだ」 「一万一千の処女たちが恐れ気もなく踊る」 そして 「すべてが喜びに目覚める」 無茶苦茶である。 しかし音楽は平明平易,ハイドン的・モーツアルト的な古典的で健全な明るさ・・・を装っている。 第1楽章は未熟な天使たちの乱稚気騒ぎ,第2楽章は悪魔の子供との戯れ,第3楽章は遊びつかれてみんなでお昼寝,第4楽章は例の歌詞で再び乱稚気騒ぎである。 「われらは踊り,飛び上がり跳ね回り,歌う」 マーラー自身の連作歌曲『子供の不思議な角笛』から題材をとったこの交響曲は,難解で長大でしかも暗ーいマーラーの交響曲群の中ではまるで「飴玉」のように口当たりがよい。 しかし,一見聴き易い音楽だけど,果たして中身はなにを表現しているのか,非常にわかりにくいという側面があります。 (まるで歯切れがよくて言葉としては非常に耳あたりがよくわかりやすいのだが実際のその中身はなんなのかさっぱり理解不能なうちの最高上司コイズミジュンイチロウみたいなものだ。) むしろ第9あたりのほうが難解で長大ではあるけど論旨ははっきりしていて,聴きにくいかもしれないが作曲家の「いいたいこと」は理解はしやすい。 (その辺は能書きは長ったらしくて小難しいが聴いていれば言っていることはなんとなくわかるどこかの野党のセンセイのようなものだ。) わかりやすいものは人に受け入れやすいものだが,わかりやすいもの裏にあるものをしっかり理解していないと,飴玉だと思って舐めていたものが実は毒だったりするかもよ。慌てて吐き出してももう遅いよ,規制緩和万歳政策。(余談ですが,コイズミ流「官から民へ」の規制緩和万歳政策は公務員のモチベーションをずたずたにし,姉歯とホリエモンという「悪しき社会現象」を生みました。) おほん,グスタフ・マーラーの第4交響曲。 この曲の魔力は人の心を落ち着かせ無条件に幸福な気分にさせるところにある。 人間の罪深さも無責任さもオブラートに包んで「それでいいんじゃないの」という気分にさせてくれる。 それは宗教と道徳に反するものなのだが。 傲慢,怠惰,無反省,欲望,快楽・・・それとは気付かない無邪気な罪深さ。 それをついつい受け入れてしまう。 マーラーがこの曲に込めたアイロニー, それは,われわれはどんなに高貴な人間様のつもりでいても,所詮は下品な子供に過ぎないということなのか??? 演奏は,レナード・バーンスタイン=コンセルトヘボウ・オーケストラ・アムステルダム「コンセルトへボウ」とは,オランダ語で「コンサートハウス」という意味です。) 「乱稚気騒ぎ」的なはしゃぎ加減と「アイロニー」への冷静な視線がよい。 ボーイ・ソプラノの起用も正解。 この人はまるで自分自身のようにマーラーを深く理解し,そして愛していたようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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