|
テーマ:お勧めの本(7354)
カテゴリ:ブラームスの本棚
幕末のむかし,佐賀藩に秀島藤之助という色白の藩士がいた。
薩長土肥で有名な鍋島閑叟の時代である。 精神的な「攘夷」ではなく現実的な「国防」を考えていた英明の君主鍋島閑叟は,その股肱の臣であり佐賀藩きっての秀才である秀島藤之助に対し,世界最新鋭の大砲である アームストロング砲 の製造を命じた。 秀島藤之助は,絵が好きだった。 好きなだけでなく,卓抜した画才があったといわれる。 しかし,「絵など書いてなんになるか」 という主君閑叟の言葉に,自らの画才を封じた。 そういう閑叟でさえ,大変な詩文の才の持ち主ではあったが,そのようなそぶりを見せることなく,佐賀藩の近代化に生涯その心血を注いだ。 二人とも,身体は丈夫なほうではなかった。 藤之助は,主命により,アメリカ南北戦争で使われたばかりの新式大砲の製造に取り掛かった。 ところでアームストロング砲とは,いままでの大砲の常識を覆す画期的な兵器だった。 まず,弾は筒先からごろごろと入れるのではなく,後ろから入れる後装式。 弾は球型の弾丸でなく椎の実のような炸薬入りの尖頭弾。 砲身は銅でも鋳物でもなく,鋼鉄製。 さらに砲内に多数の溝が掘られることにより弾丸に回転力を与え命中率が格段にアップ。 射程距離は既存の大砲の約2倍。 きわめつけが,連射可能回数は約10倍の性能。 しかし,安全性に保障はなく,常に破裂する危険性があり,南北戦争では発射と同時に何人もの味方の砲手を一瞬で木っ端微塵にしてしまった危険な武器である。 藤之助は,寝食を忘れてその製造に打ち込むが,専門のお抱え技師などいるはずもなく,設計図をはじめ材料の見立てから一人で試行錯誤を繰り返すという文字通り手探りの孤独な作業だった。 藤之助は,蘭学の知識はあったが,肝心の製鉄についてはまったくの専門外。 たまらず,同僚で鉄に明るい田中儀右衛門に教えを乞うた。 しかし田中も田中で閑叟から「自前の蒸気船を作れ」という無理難題とも言うべき命令を受けており,常に多忙だった。 ついつい,藤之助を邪険に扱い,その知識不足を嘲弄するようになった。 藤之助は,苦悩した。 孤独な戦いの中で,ついには発狂した。 しかも英国船を視察中に発狂し,雷雨の夜,外国船の室内で田中を斬った。 藤之助は,雷が苦手だった。 すぐに取り押さえられ,その後蟄居され,維新後に死んだ。 発狂後,彼の口から出る言葉はすべて,アームストロング砲のことばかりであったという。 閑叟は,藤之助と田中の件については,刃傷沙汰扱いせず,減知・改易なし,戦死と同じように名誉の死として扱った。 閑叟が近代化を急ぐ余りの過酷な命令による,今でいう過労死だった。 ・・・・・・・・・ その後,アームストロング砲についての藤之助の研究は,他の藩士に引き継がれ,ついに,二門,試作に成功した。 砲手は,藤之助の遺臣弁蔵。 弁蔵はその主藤之助に心底惚れこみ,主君の死後もこの新式砲の傍を離れることができなかった。 時代は流れ,薩長による倒幕は半ば成ったが,西郷隆盛と勝海舟による江戸城無血開城のあと,これを不満とする旧幕臣たちが多数上野に集結し,「彰義隊」と称して新政府軍に対抗した。 新政府軍総司令官大村益次郎は,彰義隊を討伐すべく上野に向かった。 世にいう彰義隊戦争である。 しかし,上野を包囲すべき新政府軍と彰義隊の兵力差はほとんどなく,彰義隊は旧幕臣とはいえ,大砲も数門そろえた手強い軍団だった。 これでは包囲戦どころではなく,市街戦となると上野の街に多数の被害が出るおそれがあった。 新政府軍の中に,薩長土肥の「肥」である肥後の佐賀藩から二門のアームストロング砲があった。 総司令官大村益次郎の緻密な作戦のもと,戦いの火蓋は切って落とされた。 戦闘は一進一退かに見えたが,ほどなく,藤之助の遺臣弁蔵に対し大村総司令官から,隊長を経由して「撃たれよ」と発射命令がくだされた。 アームストロング砲が火を吹いた。 二門,六発ずつ。合わせて十二発。 不忍池を飛び越え,彰義隊に炸裂した。 そのたった十二発で,彰義隊は壊滅した。 (司馬遼太郎著「アームストロング砲」より) まるでプロジェクトXの幕末版みたいな話であるが,僕はこの秀島藤之助という繊細な感覚をもった武士に深い共感を覚える。自分の身を折り重ねるような,といったらさすがにおこがましいし,言い過ぎだけど,気分としてはそれに近いものがある。 「男の人って,どうして『1812年』が好きなのかしら」 やれやれ,なんであんな乱暴で品のない音楽を,信じられないわ,と,学生時代に同い年の女の子にため息まじりに言われたことがある。 けれど, それはたぶん,男というのは,大なり小なり秀島藤之助みたいなもんなんじゃないの, と僕は思うのだが。 チャイコフスキー作曲 大序曲「1812年」 ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団 同曲は,ロシアにおけるナポレオン戦争を描いたもの。 ラ・マルセイエーズの旋律がフランス軍として描かれ,それをロシアの大砲が粉砕する。 この録音は,大砲の録音が秀逸で「オーディオ史上の一大事件」と言われた。 まさに「アームストロング砲」級の名録音。 ちなみに,彰義隊戦争は1868年。 1812年にはアームストロング砲は存在しない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ブラームスの本棚] カテゴリの最新記事
|