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テーマ:好きなクラシック(2316)
カテゴリ:ヨハネス・ブラームスの音楽
初めてのことなので、母と弟も身の置き所がなかったようだったが、それなりにリフレッシュしてくれたようで、息子として、兄として、多少今までの罪滅ぼしができた気がした。 それに付き合ってくれた妻に感謝したい。 血のつながった二人を見送ったあと、日曜日の昼過ぎにわが妻とともに官舎に帰ってきた。 門柱の上で出迎えてくれたのは、官舎界隈をうろつく「スターリン」(猫)。 口ひげの模様がソ連の独裁者にそっくりなので僕はひそかにこう呼んでいる。 いかつい顔に似合わず、なでると惜しげもなく「ニャー」と可愛い声を連発する愛いヤツ。 夏痩せして、多少色気も出てきたが、抱っこしようとすると嫌がる(服に毛がつくでしょ!と妻に怒られる。)。 「ゆうぞう」(「スターリン」の通称。彼はいろんな名前を持っている。)と別れて、我が屋に着く。 さて、妻は義理の身内との一泊旅行中はごくごく自然に振舞ってくれていたが、さすがに疲れたらしく、お茶を飲むまもなくすやすやと目を閉じて横になってしまった。 僕もなれないことに疲れたのか、温泉の効用なのか、自然に全身の力が抜けてしまい、別室の畳の上で大の字になって意識をうつろにしてしまった。 そのときたまたま掛けていたのが、モーツアルトとブラームスのクラリネット五重奏曲のカップリングCD。演奏は、あのカラヤンとベルリン・フィルの不仲を決定的にした「ザビーネ・マイヤー事件」で有名な女流ザビーネ・マイヤー。 伸びやかで大小振幅のある音量はさすが。 でも女性的な繊細な遠近感があって、たまにちらりと見せるその女性くささが独特の魅力。 (カラヤンは、ムターやマイヤーといった若い健康美の女性が好みだったのかな?) よくこの2曲は二人の天才の「類まれなる遺産」のひとつに挙げられ、「演奏者はこの曲の偉大な魅力に追いつくことはできない」などと権威付けられ、神格的なウラッハの演奏以外は一等劣る存在というほどに「名曲」の誉れ高き曲だが、僕は、この曲はもっと近しく手元に置いて愛すべき曲だと思う。 たとえば近所の猫と一緒に縁側で日向ぼっこをするように。 よい風が吹いてきて、妻が最初に目を覚ました。 モーツアルトの第2楽章の中間あたりだった。 「昼寝にはよい曲ね。だれの曲?」と寝ぼけた妻。 「モーツアルトさん。」と寝入りばなの僕。 とにかくここちよく眠い。 ~♪~♪~♪~♪~♪~♪・・・・・♪ 涼しい風のなか、妻がもう一度目を覚ます。 「もう2時半だよ。」 「この曲が終わるまで寝かせて」とうつろな僕。 「これもよい曲ね。」とすっかり回復した妻。 「ヨハネス・ブラームス先生。」と大の字のまま答える僕。 同じくちょうど第2楽章。 我がヨハネス・ブラームス先生も、晩年のロ短調の傑作がまさか昼寝の伴奏になろうとは思ってもみなかったかもしれない。 でも、僕にとってはどちらも近所の猫のように近しい存在である。 クラシック音楽は、宗教ではないのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年08月21日 22時52分37秒
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