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テーマ:好きなクラシック(2316)
カテゴリ:ヨハネス・ブラームスの音楽
このCDは、先日の東京出張のときに神保町で手に入れたものです。 以前から、この音源は持っておりましたが、 仏ターラ盤は、さすがに音がよい。 60・70年代の下手なステレオよりずっとよい。 純粋に音楽だけに集中することができます。 さすがに、全楽章にわたってフルトヴェングラーの精神の力がみなぎっている演奏だけど、 特筆すべきは、というか、これはフルトヴェングラーしかできないな、と思うのは、 音楽のイントネーションですね。 まるで自分自身の言葉であるかのように、オーケストラが語っていますね。 これは驚異的なことだと思います。 (あのカラヤンでさえ、この域に達したのは『悲愴』の最期の録音のみでした。) 第一楽章のティンパニーの連打からして、常人の演奏ではありませんが、 僕は第三楽章の独特の造形が一番気に入っています。 最初は、ためらいがちに木管が吹き始めます。 クラリネット奏者が「本当に、鳴らしちゃってもいいの?」と抗議しかねないほど、 本当にたどたどしい出だしです。 そんな一本の線が、二本、三本と増え、何重もの援護を得て、次第に音楽が形造られていく。 テンポも次第に漸進していきます。 気付かないうちに、音楽は完全に確かなものとなっています。 小さな湧水から大河の奔流が生まれるかのような生命の流れが頂点に達したところで、 突然、別世界から金管がやってきて、乱暴に音楽にブレーキをかけます。 まるで世界の時間が止まってしまったかのような、重々しい低弦のピッチカート。 そして再びたどたどしい木管のつぶやき。 不安定な心情のブラームス。 逍遥するブラームス。 前にも書いた記憶があるのですが、僕はこの交響曲の第三楽章が好きで、 携帯のメールの着信音にも使っています。 ベートーヴェンの偉大なスケルツォに対抗する、若々しくて挑戦的な新しい音楽。 でも、どこまでもブラームスらしい、 この第三楽章が、僕は大好きなのです。 PS.それにしてもこの録音、本当にティンパニーが雄弁ですねぇ。 惚れ惚れしてしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年07月22日 00時32分05秒
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