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テーマ:好きなクラシック(2328)
カテゴリ:ベートーヴェン
正確に言うと、僕の身体は定期的にアバドを欲する。 「正統派」なるものが存在しなくなった現在において、 (というよりも何をもって「正統派」というべきかわからなくなった現在において) 彼の音楽は至極マトモなのだ(たとえ冒険をしていても)。 絶対に外さない。 それでいて、ひとつの頂点を極めていること。 中庸の美徳。 孔子は中庸をもって究極の姿と説いたが、 それを証明するのがアバドのベートーヴェンでなのである。 たぶん、僕は、僕のアイデンティティがブレはじめると、 大樹のように微動だにしないアバドの音楽にすがろうとするのだろう。 今夜は交響曲第1番。 この曲を聴くたびに、 「ベートーヴェンの交響曲第1番はモーツアルトの『ジュピター』よりも優れている」 と僕が主張したとき、 それは純粋に好みの問題でしょう、と諭されたことを思い出す。 美術部の高校生のころでした。 もう15年前のことです。 今はというと、課長が夏休みに入って代理決裁に忙しい課長補佐のブラームスです。 あのころは無尽蔵にあった頭髪も、すでに薄くなってきています(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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